「スカジャンゾンビにはなりたくない」アキバから世界へ。刺繍アーティストSHISHUMANIA(フクモリタクマ)のオリジナル

私たちに馴染みのあるスカジャンなどに代表される刺繍は、その昔手縫いではなく横振りミシンを使って作られてきた。このミシンの登場で手縫いよりも素早く縫えるようになり、米軍の流入を機に爆発的に流行。多くの刺繍製品を生み出した。近年ではデジタル刺繍ミシンや安価な海外工場の登場で、横振りミシンでの刺繍は衰退。しかしただ一人、この日本で横振り刺繍を武器に「オリジナルな一点もののアート」を展開する刺繍アーティストがいる。

“SHISHUMANIA”として知られるフクモリタクマ。長身で端正な顔立ち、首まで迫る刺青。ただ、話してみると、物腰は柔らかで温かみがあり、ひととなりを知るにつれ興味が尽きない。上京後独立、オーダーメイドの一点ものの刺繍を受けることを生業としてきたが、近年は個展の開催やアパレルブランドとのコラボレーションなど、徐々に独自性をもったオリジナルなアートとしての刺繍へ移行していっている。今回、筆者が秋雨のふる閑静な住宅街を抜け辿り着いたのは、フクモリタクマの自宅兼アトリエ。ヴィンテージの横振りミシンと大量の刺繍糸に囲まれたフクモリタクマに、生い立ち、刺繍業界、そして“SHISHUMANIA ORIGINAL”シリーズを立ち上げた経緯などについて聞いた。

サイケデリックなものが好き

上京後1000点以上におよぶ一点もの刺繍をSHISHUMANIAとして作り続けてきたフクモリタクマ。日本で数少ない横振り刺繍の技術を持つ、彼が初めて作る「オリジナル」とは何か? そのクリエイティブの源泉に迫るために、職人ではなく一人の表現者として何が好きなのか、制作時に考えていることをまずは尋ねた。

「サイケデリックですね。サイケデリックなものがもともと好きなんです。行きすぎないくらいの感じでやりたいんです。ふざけたものばっかり作ってると、それはそれで下手だと思われるので、複雑なものとかも作るんですけど」

「首に入ってる刺青はミシンですか?」と尋ねると、「はい、立ち上げ10年の記念に入れました」とフクモリタクマは返した。

アトリエの作業机には下絵や専門道具が所狭しと、だがとても綺麗に整頓された状態で広がっていた。

知られざる横振り刺繍職人の世界

そんなサイケデリックな刺繍は、フクモリタクマの瞳の奥にあるピュアな輝きから生まれて来るものなのかもしれない。ここに至るまでの生い立ちを聞いてみると、厳格な母のもと母子家庭で育ち、飛行機が大好きで、空港や基地に飛行機を見にいくのが日課だったという。そんな彼はパイロットを目指して全寮制の自衛隊に生徒入隊(現在は廃止)する。2年生の時のパイロットの適性検査でNGが出たことをきっかけに、刺繍に興味を持つようになった。

「4年生が研修から戻ると、Pジャンにかっこいい刺繍のワッペンが付いてるんですよね。あれがかっこいいなと思って、空いた時間に自分で刺繍をやったりしてました」

本人が航空教育隊4年生時に実際着ていたPジャン(パイロットジャンパー)。

1955年に発足した埼玉県熊谷市にある航空教育隊の刺繍ワッペンが貼られている。

ただし、4年間の入隊を経て卒業後に配属された仕事は退屈で楽しみを見つけられなかったと言う。そこで埼玉の自衛隊を出て兼ねてより興味のあった刺繍の道へ。刺繍業界では有名だった群馬の刺繍職人に弟子入りを決意する。

「仕事はありませんでした。バイトしながら週一くらいで通い、月謝を払って教わってました。たまにスカジャンなどのオーダーが来たときに、手伝いながら教えてもらうって感じでした」

フクモリタクマの愛機。

Made In Tokyoの刻印。もう生産されていない貴重なマシンのため、部品を見つけたらストックして大事に使っている。

刺繍業界はその昔、スカジャン等の流行を機として一気に拡大し、「稼げる」時代があった。主婦をしていた人達にまでミシンを覚えさせ「字の人」「虎の人」「鳥の人」など、一枚のスカジャンに対し、得意やスキルに応じた職人たちが分業制で請け負うような形で大量の製品を出荷していたという。師匠の元には過去、一流コレクションブランドからのオーダーもあり、ミシンでの刺繍は一度栄華を極めたとのことだ。しかし刺繍技術が、データを基としたデジタル刺繍ミシンに託されていく流れの中で、横振りミシンの製造はもちろん、職人の高齢化に伴い技術を受け継ぐ人はほとんどいなくなっている状況だという。

横振り刺繍の実演。針が左右に振れて刺繍が構成されていく。

「80歳近い高齢の師匠と若い自分との間に、他の職人さんがほぼいないような状況でした。ひたすら机に座って長時間刺繍し続けるこの仕事は、理由は分かりませんけど50歳くらいで亡くなってしまう人も大勢いたみたいなんです。とにかくこのままここにいても仕事も来ないし、このままではいけないと、“東京に行って横振り刺繍を広めてきます!”という感じで師匠に話したことがありました。一時は行ってこい!と送り出してくれたんですが、刺繍協会の人たちに話を通しに行ったら、話がかなり変えられて伝えられていて、いろいろ大変でしたね……」

アトリエには自身の作品以外の刺繍も飾ってあった。これは横須賀のショップの片隅に40年売れずに残っていたビンテージスカジャン。裏面は日焼けがなく綺麗。

ラスベガスに行った際にニューヨークで見つけたという、横振りで作られたビンテージスカジャン。

秋葉原で見つけた一点もの刺繍のニーズ

何があったのか事細かな記載は避けるが、信頼していた師匠から思わぬ仕打ちを受けたと感じたフクモリタクマは師匠から離れ単身東京へ。右も左も分からないまま、あちこち見て回り辿り着いたのは秋葉原。TwitterやYouTube、ニコニコ動画などのサービスが始まり、アニメやアイドルカルチャーが急速にお茶の間へ浸透し始めた頃だった。

「秋葉原に行くとアイドルの応援のために文字の刺繍が入った特攻服を着た人がいたんですよね。まだキャラクターそのものを刺繍してる人はいなくて。これだと思いましたね。文字を刺繍するだけなら、すでにデータがあるものを機械でやるだけなんで、楽なんですよね。稼げるし。でも自分だったらもっと面白いものを作れるなと。当時の秋葉原の熱が本当に凄くて、その後押しもあったと思います」

フクモリタクマのサイケデリックな作品に欠かせないカラフルな刺繍糸。

関東に進出してすぐに始めたのはTwitterやニコニコ動画への刺繍動画の投稿だった。アニメやアイドルを題材とした刺繍制作の現場を連日投稿し続け、殿堂入りしたことを機にオーダーが増えたという。我先に目立たんとする熱量の高いアニメファン、アイドルファンたちの間で、フクモリタクマの作る“痛刺繍(いたししゅう)”は瞬く間に広まり、その圧倒的ギラつきと威圧感に、最初はアンチからの批判が殺到したこともあったという。

アニメ『ラブライブ』に登場するキャラの設定(両親が病院経営者)を活かし、触診をテーマにした二次創作痛刺繍特攻服。ほとんどの特攻服はオーナーの元へ、自分で持っているものは少ないという。

「イベントのたびに、めちゃくちゃ批判的なコメントが付いてましたね。“威圧感があって怖い”みたいな感じで。でも続けていくと、気づけば特攻服もよくみる光景になっていたんですよね。イベントでは毎回アニメやアイドルファン皆で集まって、カメラマンを呼んで撮影していました。多い時で100人近く集まっていましたね。最初にアニメをやろうと決意したときに見えたビジョンが、ライブ会場で自分が刺繍した服を皆が着ているという景色だったので、ライブ毎にどんどん増えていくのを見れて楽しかったです。そのうち、デジタルの刺繍屋さんもガンガン参入してきて、刺繍入れ放題でいくらみたいな会社も入ってきたので、もう自分の役割は終わったかなと思いました。横振りミシンって何かを開拓するような役割で、コンピューター刺繍(デジタル刺繍)が参入してきたら、次の何かを見つけないといけないのかなと思いました」

制作に集中するフクモリタクマ。

今の秋葉原では当たり前に繰り広げられる痛刺繍の文化を作ったのはフクモリタクマその人だった。日本のアニメカルチャーが大好きな海外の有名カメラマンが、自身の作品集に痛刺繍を来たオーナーたちの写真を載せたいというオファーがあり、特攻服のオーナーを集め写真を撮影した。それをフクモリタクマの痛刺繍作品の卒業写真とし、以降版元公認のオーダー以外は受けていない。(編註:作品集の発売はコロナの影響で延期中)

痛刺繍の卒業を記念して撮影された写真。(出展:SHISHUMANIA

「そんな時アニメ特攻服、Cygamesさんから2018、2019年にEVOというラスベガスで行われたEスポーツ世界大会衣装の仕事が舞い込みました。痛刺繍はグレーな活動だったのですが、公式から評価して頂けて、しかもそれがウメハラさん(日本で一番有名な格闘ゲーマー)やふーどさん(Cygames beast所属のレジェンドゲーマー)の所属するチームの衣装だったので凄く嬉しかったです。これまでやってきた活動が実ってきて、以降紅白のKinki Kidsの衣装制作の話がきたり、オフィシャルからの正式な依頼で仕事ができるようになっていったんです」

格闘ゲーム世界大会EVO出場チームの衣装。(出展:SHISHUMANIA

SHISHUMANIA ORIGINALの始動

こうしてモチーフにしている作品の版元から公認してもらえるようになったフクモリタクマだが、コロナと共に大口のイベント衣装などのオファーが減り、方向転換を余儀なくされる。改めて刺繍と向き合う中で、導き出した答えは「オリジナル」の制作だった。

「アニメもアイドルもゲームも、一次創作のパッケージの力があって成り立ってますよね。伝統的なスカジャンや特攻服なんかも同じなんですが、結局最初に作った人や流行らせた人のやったことをずーっとなぞってやってるだけじゃ、ある種 “スカジャンゾンビ” みたいになって終わっていっちゃうんじゃないかなって思ったんです。イラストレーターの友人からは、いつオリジナルやるの? やんなよって言われ続けていて、“お前のインスタはアニメのとブランドのが混じっててよくわかんないんだよな”とか言われたりしてて…。いよいよやってみようかと、仕事と並行し展示会に向けた個人の制作を始め、SHISHUMANIA ORIGINALを立ち上げました」

伝統的な刺繍のモチーフであるトラを、斬新なカラーリングで表現したパネル作品。

“伝統的なデザインやキャラクターの人気にあやかる形で焼き直しを続けていても、横振りミシンも自分自身も、ゆっくりと落ちぶれていってしまうのではないか”ということを“スカジャンゾンビ”と称したフクモリタクマは自身の刺繍作品を額に入れて展示、そのオリジナルのモチーフを軸としたアパレルを展開するという手法へと移っていった。こうしたアートフォームでの展示は前例があるものだったのだろうか。

「日本ではあまり見たことはないですね。オリジナルをやるにあたって、洋服の歴史を振り返る展示なども見に行ったことがあるんですが、素晴らしい作品も、デザインした人の名前は載っているんですが、刺繍をした人の名前が出ることはほとんどないんです。僕はそれを見たときに、自分の名前を出してやっていきたいなって思ってしまったんですよね」

SHISHUMANIAのブランドタグもフクモリタクマらしさ溢れるデザインだ。

クライアントワークにも活かされるオリジナルのスタイル

そうして少しずつ自身の作品や今の仕事について語ってくれた。そこには冒頭で語られていた独自の“サイケデリック”な色味を持った作品達があった。

「例えばこれは今、中国のブランドとコラボレーションしてつくっているジャケットです」と制作中のジャケットを本人が実際に着用してくれた。

オリジナル作品の多くに使われている青とピンク。シグネチャーカラーとなりつつあるようだ。最終的にはこれを精密なデータに落とし込んで中国の機械で枚数を作る。

現在制作中だと言う中国ブランドとコラボしたジャケットを例に、まず最近のクライアントワークについて教えてもらった。

「最初はパンダを作って欲しいって依頼だったんですが、パンダのついでに、自分の好きな水色とピンクの配色でデザインした龍のデザイン案を出したら、中国にこんな色の龍を考える人はいないからこれで決まり!と喜んでもらって採用してもらえました。これまでスカジャンなどで刺繍されてきた龍とは違う独特な色でデザインしました。青、ピンク。こんな色の龍の刺繍は日本のどこにもないです。僕は色使いの中に、自分の独自性が出せるかもしれないなって思ってます」

SHISHUMANIA ORIGINALの存在が、クライアントワークとして複製されていく制作物の中にもしっかりと生きている。そして自分で一度刺繍したものをデータ化するという工程には、世界に一枚の原盤を作成後複製するレコードのカッティングとプレスにも近い関係性を感じる話だった。

また、デジタル刺繍と横振り刺繍、それぞれの利点と違いなどについても丁寧に説明してくれた。クライアントからの信頼は、彼のセンスだけではなく確かな技術にも裏打ちされたものなのだ。

「機械はとても精密です。たとえばこんな刺繍を作ると、それをデータにして大量に複製していくことも可能です。パッと見て違いはそんなにないですよ。よく見ると、横振りの方がふっくらしていたり、温かみがあったり、立体感が出たりとかはあります。個体差も出るので一概に横振りだけがいいというわけではないです」

左:デジタル刺繍ミシン 右:横振り刺繍

アトリエで実際に観た作品

アトリエの中でも一際目を引いたのは、映画「JOKER」のシーンを切り取った作品だった。まるで油絵のようなリアリティを持ちながら、刺繍ならではの艶や凹凸がセクシな一点。細部までこだわり抜かれた仕上がり。展示等に行く機会があれば是非実物を観て欲しい作品でもある。

「JOKERはEゲームスの衣装で培った写実的な技術で作ったものですが、依頼されて作ったのではなくて、映画を観た後、やりたくなって作り始めました。これは何層にもレイヤーしながら刺繍していくので、機械では再現できない横振り刺繍だけの仕上がりですね。他にもプリントに沿って刺繍する技術などは、技師の塩梅次第なので、機械では難しいと思います」

髪の毛は細部までこだわり、背景も全て刺繍で作られている。

フクロウをモチーフにした作品。両目で違う色の糸を使っている。「渋い感じのものも好きです。たとえばこのフクロウ。だけど、目はちょっとイった感じにしたいなと思って色を入れてみたら綺麗な仕上がりになりましたね」

オリジナル作品の発表を始めてからの自身や周囲の変化

いくつか作品を見せてもらいながら、個展を始めてからの変化を聞いた。

「個展は1回だけのつもりだったんですが、そこでの出会いがつながって、2月の開催から今日まで6回ほど個展を開いています。アパレルも展開してて、服やステッカーが結構売れたんです。初めて自分独自で考えて作ったものを喜んでもらえたことが本当に嬉しくて。これだなーと思いました」

過去に表参道で行われた展示の様子。

オリジナル作品の話になると、途端にフクモリタクマの瞳が輝きだした。そのことが、個展を始めた彼の精神的充実を物語っているようだった。クライアントからの依頼を受けて、懇々黙々と机に突っ伏して、ひたすらに刺繍をしてきた彼の膨大な時間を思うと、そこには職人ならではの強いエネルギーを感じずにはいられない。しかし常識と非常識、伝統と革新との間にあるグラデーションへ自然と目を向けて、フットワーク軽く今を生きている姿にはアーティストとしての意思とクリエイティブが確実に息づいていると筆者は感じた。

「一度僕のInstagramに載せたオリジナル作品をを見た海外の子供からステッカー1枚だけのオーダーが来たことがあったんですよね。送料3000円くらいかかるのにどうして?と質問したら、“今使えるお小遣いがこれだけなんだ”って。そういう出来事もほんと嬉しかった。こういうことがあるなら、自分は多分これでやっていけるんじゃないかなって思ったんです。スカジャンがかっこいいからとか、アニメが好きだからっていう理由で刺繍が入った服をオーダーするわけじゃなくて、僕自身の作ったものに感動してくれて、買ってくれたっていうことだと思うので」

大量生産大量消費の陰で、静かに失われていく文化継承。そこから一人抜け出したあまりにも貴重な技術者であるフクモリタクマがオリジナルに目覚めていく。貴重な技術を持つ個人が、より個性を重んじられて、個を発揮できる社会の変化はそこかしこで感じることではあるが、その道のりは決して平坦ではなかったことが窺える。そんなSHISHUMANIフクモリタクマだからこそ可能な、オリジナルで唯一無二な刺繍の魅力をこれからも見ていきたい。

「横振りじゃ食えないって言われ続けて来たし、刺繍やってると言うと、“一針いくらの世界だから過酷な上に稼げない、暗い仕事だ”って言われてたんですが、自分のオリジナルをしっかり押し出していくことでそういう状況を変えていきたいんですよね。来年また別のブランドとのコラボレーションも決まっているんです。そこに対してもどんどん自分を出して、自分しか作れない刺繍という表現をしていけたらって思っています」


Text:YOSUKE NAKANO
Photo:VICTOR NOMOTO