32歳でプライベートミュージアムをつくったマーケターの話

金沢は、現代アートの街としてアート好きたちに注目されるエリアのひとつだ。どういうからくりかは分からずとも、大きなプールの水中からたくさんの人が見上げている写真を目にしたことがある人は多いだろう。そんなユニークな作品、レアンドロ・エルリッヒの「スイミング・プール」を所蔵するのが、金沢市が運営する金沢21世紀美術館だ。当初年間30万人と予想されていた入館者数は2018年度には258万人にのぼり、翌年には混雑緩和工事のために休館を余儀なくされたほど、その人気は高まっている。

そんな金沢21世紀美術館の近くに、2020年6月、「KAMU kanazawa」という新たな私設美術館が生まれた。いわゆる私設美術館とは、ベネッセの福武財団が瀬戸内の街を彩るベネッセアートサイト直島、六本木の文化都心のシンボル森美術館のように、国公立ではなく個人や団体で運営する美術館だ。思い浮かべればファミリーの名前を冠した私設美術館は数あるが、公式に「博物館」として認定されているか否かに関わらず、それらはひとにぎりの巨大財団にのみ成せる活動だと思われがちだろう。実際に、海外と比べると個人がコレクションを展示するアートスペースも少なく、スケールも小さいようだ。実業家の前澤友作が千葉に美術館をつくるなんて話もあるが、それこそ前述の例に漏れないケースだろう。

読みやすく親しみやすい「KAMU」というネーミングは、"Ken Art Museum"の頭文字とのこと。現在すでに4つの展示スペースを運営し、プライベートミュージアムを拡張し続けるKenとは一体何者なのか。Ken本人であり館長である林田堅太郎に会いに行った。2020年代に個人が美術館をつくること、その背景にあるモチベーションや実現までの経緯、開館後の街のリアクションや感じた可能性について、街を歩きながら話してもらおう。

本館「KAMU Center」にて、レアンドロ・エルリッヒの作品《INFINITE STAIRCASE》と林田堅太郎。レアンドロ・エルリッヒ本人に依頼してつくられた新作。水平と垂直が矛盾するように見える階段と空間は、鑑賞者が作品に入ることで錯覚の仕掛けを理解できる。

マーケティング思考から練る美術館づくり

「KAMU kanazawa」は、金沢で林田が手がける美術館の複数スペースの総称だ。2021年2月現在では、本館である「KAMU Center」に続き、「KAMU Black Black」「KAMU Sky」「KAMU L」と、次々とキャラクターの異なる4つのスペースを開館させている(※「KAMU Sky」は調整中のため公式ホームページ参照)。いずれも徒歩圏内の距離にあり、「KAMU Center」でチケットを購入すれば、すべてに入館できる仕組みだ。後ろ盾のないアートコレクターだった林田個人が、どのようにしてプライベートミュージアムを開設できたのだろうか。そして目を見張るスピードでスケールを拡大し続けられるのはなぜだろうか。

「まずは、どの作品がKAMUの象徴的なものになり、金沢のためになるかを考えました。金沢は現代アートを目的とした集客で日本でトップレベルを誇ります。でも、トップを守れる時代がいつまでも続くとは限らない。だから、最もアイコニックなレアンドロ・エルリッヒの作品に注目しました。⾦沢21世紀美術館の『スイミング・プール』と合わせて、レアンドロ・エルリッヒの2つの⼤型インスタレーションが楽しめると言えれば、明確に希少で来訪価値が高い都市になりますよね。レアンドロ・エルリッヒとオラファー・エリアソンと……と言うよりも分かりやすいでしょ。もちろん、もとから作家自身への愛はあり、コレクションもしていましたが、金沢が圧倒的な世界有数の都市として認識されるように、戦略的に選んだ部分が大きいです」

ブエノスアイレスやドイツ、そして日本では、街を楽しくハックするような大きな作品が印象的なレアンドロ・エルリッヒ。コンセプト、サイズ、プライスともにスケールの大きな作品群で、凡人なら「個人で買う」という選択肢を思いつく余地もない。購入資金はどうしようかと途方に暮れ泣く泣く諦めるのが鳴れの果て……と想像してしまうが、林田は冷静で着実に目標を達成していく。

「レアンドロは、もともと小さい作品を持っていてギャラリーにコネクションがあったんです。まずはそこに電話して美術館の構想を伝えて、”作品を買わせてほしい”とレアンドロへの伝言を頼みました。ただ、金額はご想像の通りのスケールです(笑)。そこで、僕がすこしだけ特殊なのは、クリエイティブにアイデアを発散させながらロジックを組めること。今回のケースでは、レアンドロの作品が自分たちや地域に与える効果を、ちゃんと数字化して誰にでも理解できるようにしています。アートだから特別ではない、レアンドロのレの字も知らないアートに全く興味がない人でも数という共通言語でこの計画の価値や収益性がわかるように言語化したんです。だから、計画書を作成して銀行に相談しても、疑問を抱かれることなく融資の承認が下りました」

もと美容院だった建物を改装し、2020年6月に開館した「KAMU Center」。こけら落しは「The power of things」と題し、ステファニー・クエール、桑⽥卓郎、レアンドロ・エルリッヒらの作品が展⽰されている。

「数字」から逆算するクリエイティブ

銀行からの融資ということは、もはや個人の趣味活動ではない。実は「KAMU kanazawa」は、林田が代表を務めるsetchu株式会社が運営している。一般的な私設美術館の実態は、○○財団のコレクション、といったものが多いが、財団ではなく株式会社を選んだ経緯には、どのような思考回路があるのだろうか。

「そもそも美術館は非営利なものが多いから、単純に”株式会社で美術館をやってみたい”というこだわりがあったんです。美術品って、100万円までは減価償却できるけれど、100万円を越えると”美術館を運営している会社”だとしても固定資産になるんです。だから勿論、他の多くの美術館のように財団にする手も考えたし、そういった財団からすると笑われてしまうかもしれません。でも、(おそらくやりませんが)株式会社なら、上場だってできる訳じゃないですか! 美術館事業で上場するって、訳が分からないけど、わからない部分に何かすごい強みが出てくるかもしれない……。面白くないですか(笑)」

「美術館をつくる」と聞くと、あまりにスケールが大きくて無謀な夢に思える。資金面もさることながら、そもそも一体何から始めれば良いのか想像もできず、たいていの人は夢のまま忘れていってしまいそうなものだ。だが、多様な領域でプロジェクトマネージャーを務めてきた林田の考え方は違った。

「KAMU Center」2階、ステファニー・クエールの作品群。”動物たちの居場所選び”にもこだわりが詰まっており、筆者たちとの対話の中で楽しそうに解説してくれた。林田は、初めて仕事をする人とは食事ではなくアート鑑賞を通した会話で相互理解を試みるそうだ。

「そもそも美術館をつくったことがないので、まずはどうすれば美術館をつくれるのかを把握するために、タスクを洗い出してみたんです。そうしたら、全部で700個くらいでした。ということは、6カ月で完成させるとして180日で割り算したら、1日につき3~5個。できる気がするでしょ?(笑)漠然と考えただけではできないけれど、”美術館をつくりたい”と言う熱量をタスクに置き換える際に冷静になれば、現実性が見えてくる。僕からすると特別な仕事ではないし、やろうと思えば誰でもできることだと思います」

街に埋もれたニーズと向き合う

NPO法人の取組みや企業のCSR活動としての展覧会開催など、社会的意義の文脈で語られることが多いアートの世界。一方で、アートコレクターという観点では、一部の高所得者層のみに許された嗜好の極みだと捉えられる面もある。こうして、超個人的創作だからこそ、つくる者、観る者、売る者、買う者……と、ある意味二極化したアートの世界にすっぽり抜けていたのが、マーケティングの視点かもしれない。つまり顧客のニーズを汲み取り世に出すということが、当然ではなかったように思う。しかし、製品デザイナー、ITコンサルタントのバックグラウンドを⽣かし、多様な領域でプロデューサー/プロジェクトマネージャーとして施策を⽣み出してきた林田は、美術館づくりにおいても、ごく自然にマーケティング戦略を活用しているように見える。

「僕は中学まで福岡県で過ごし、高校時代単身で上海に渡りましたが、帰国後は金沢でデザインを学んだので、もともと金沢の街に愛着がありました。ただ、美術館をつくる上では、しっかりとビジネス上の理由があって立地を選んでいます。まず、金沢には”世界の”金沢21世紀美術館があるので、国内外からの集客数が絶大で、KAMUの何十倍もの磁力があります。ここで重要なことが、金沢21世紀美術館はライバルではなくて、同じ”現代アートファン”をターゲットとする仲間だということ。徒歩圏内に現代アートのミュージアムをつくれば、自然な相互送客が見込める。つまり、同じターゲット属性の人に対して「KAMU kanazawa」を知ってもらえれば、「せっかく金沢に来ているからこっちも行かないともったいない」という心理になってもらえるので、金沢21世紀美術館に行った後の目的地としても集客を期待することができるんです。2020年春に行ったクラウドファンディングも、資金集めだけでなく、認知向上も大きな目的のひとつでした。有難いことに狙いは的中して、ある月では損益分岐点の6倍ほどの人(およそ6000人)が訪れたこともあります」

マーケティング戦略に長けていたとはいえ、「KAMU kanazawa」は開館と同時に世界的な新型コロナウイルス蔓延の影響をダイレクトに受けることとなる。災いに見舞われたにもかかわらず、すでに金沢で4つ目のアートスペースを構えるほどの好調ぶりの裏には、どのような試算があったのだろうか。

「KAMU kanazawaがコロナで潰れなかったのは、いつも何が起きても大丈夫なように数字を見積もっているからです。例えば、人口減少が起きたとしても40~50年後も十分な来場者見込みがある事業計画にしています。ターゲットの見積もりも、最初からインバウンド需要をほぼ入れず、想定ターゲットの10〜20%だけに設定していました。いつか鎖国が起こる可能性もあると考えていたから(笑)。イギリスがEUから離脱するとか、世界では色々なことが起こっていて、国境封鎖は有り得るだろうと想定していたんです。もともと海外顧客に依存しない方針にしていたから、COVID-19のような不測の事態でも数字がブレなかったし、むしろ僕の見積もりより日本人自体の集客ポテンシャルが高かったので、予想以上の集客がありました」

桑田卓郎氏の「Untitled」。このスペースに合う作品を、ということで本人の提案により持ち込まれた。大きいものは200㎏もあり、展示会場である3階まで持って上がるのはひと苦労だったそうだ。


桑田卓郎|1981年、広島県生まれ。京都嵯峨芸術大学短期大学部を卒業後、財満進氏に師事。2007年に多治見市陶磁器意匠研究所を修了、岐阜県土岐市に工房を構える。国内外で展示、美術館への作品収蔵多数。18年に「ロエベ クラフト プライズ」特別賞受賞、19年夏に京都・清水寺で個展を開催するなど、活動の幅を広げている。

林田が時間をかけて収集してきた桑田卓郎の作品群。ぱっと目を引く色彩や前衛的なフォルムには、釉薬のひび割れ「梅花皮(かいらぎ)」や土の中の小石が表面に飛び出る「石爆(いしはぜ)」といった伝統的な手法がもとになっている。このフロアは、同世代である桑田の活躍を追える場所とし、ともに歴史を記録していきたいという。アーティストと対等な関係性は展示づくりにも良い影響を与えている。

金沢を活かしつくした美術館運営

金沢でアートが盛んだとはいえ、依然として現代美術の中心地は東京であることは疑いようがないように思える。主要な美大が集中する東京には必然的にアーティストも多い。林田が美術館を運営するうえでは、アーティストを金沢に招待し、作品設置のために赴いてもらう必要がある。その移動はコストではなく、特別な体験を提供するメリットになりうるのだと林田はいう。

「単純な話ですが、”食の魅力”も金沢の大きな武器だと思います。”アーティストに対しても”です。例えば、収蔵しているアーティストとトークイベントを開催したい場合に、”カニが美味しいから絶対にこの時期に来た方が良いです”と誘いやすいですよね(笑)。今までも、年齢や国籍を超えて協力的に参加してくれる方が多くて。森山大道さんのような巨匠から若手のアーティストまで、そして写真や立体、メディアアート、工芸など、さまざまな形態の作品が一堂に会する、なかなかレアな場所になりました」

2020年10月、金沢市の中心部にある竪町商店街の一角に現れたのは「KAMU Black Black」。外から中の様子は見えず、右下の扉から勇気を出して入館する。

「KAMU Black Black」にあるのは、ドイツを拠点に各国の美術館などで展示やパフォーマンスを行う黒川良一の最新作「Líthi (レーテー)」。日本で大規模な作品を観られる機会は稀。この作品のためにつくられたとも思える空間で、レーザーと音を全身に浴び圧倒的体験ができる。


黒川良一|1978年大阪生まれ。 ベルリン在住アーティスト。 現代美術、メディアアートの分野で活動。 マルチチャンネルの映像/音響の3次元的な現象により、新しい共感覚的体験を導く作品を制作している。

すでに4つのスペースを持つKAMU。今後はどのような展望を持っているのだろうか。

「10スペースまでは収支が合うと考えています。スケールしていくうえでは、館が増えればチケット金額も上がるのが自然ですが、上限は決めています。お客さんからすると私設も公立も変わらないので、21世紀美術館の金額を越えないようにとは考えています。KAMUは作品の収集をしている都合上、美術館としての機能が強いんですが、街への影響としては、芸術祭のような効果があると思っていて、そのハイブリッドな感じが面白いなと。金沢は1泊でいい街と言われることが多く、規模の割に回遊性が低いんです。だから、僕らが観光スポットとなる場所を沢山つくって回遊性を上げることが、街のチャンスにもつながる。ミュージアムが10館くらいあると1日だけじゃ回りきれないので、金沢での滞在が2泊以上に増えて、周りの飲食業や宿泊業も潤いますよね」

手元には、桑田の作品のテクスチャに合わせたネイルアートが。「ネイルは、LEDライトに指先を入れるのが窯焼きの製法に似ていると思っていたので、東京のアーティストの方につくってもらいました(林田)」。実験的にアートとネイルの可能性を探っている段階で、今後はネイルを活用したワークショップのような企画の構想もあるという。

まわりの大人たちに上海が面白いと聞き、高校生活を単身中国で過ごすために日本を発った林田。学校や社会で多様な大人たちに揉まれ、必死でサバイブした感覚だったという。何事もまずは行動してプロトタイプをつくり、運用しながら改善していく「ソフトオープン」は、中国のビジネスでは主流の考え方。しなやかに自己実現していく彼のノウハウとパワーは、上海での経験にルーツがあるのかもしれない。

2020年12月に開館したのは、巨匠森山大道の代表的モチーフをプリントした「Lip Bar」。猥雑さと欲望の世界に浸るインスタレーションが登場。4 番目のスペース「KAMU L(カム エル)」。美術館開館時間帯は鑑賞の場として、閉館時間後にはバーとして運営。


森山大道|1938 年大阪生まれ。写真家・岩宮武二、細江英公のアシスタントを経て独立。ハイコントラストや粗粒子画面の作風は“アレ・ブレ・ボケ”と形容され、写真界に衝撃を与える。 ニューヨーク・メトロポリタン美術館やパリ・カルティエ現代美術財団で個展を開催するなど世界的評価も高い。2018 年フランス政府より芸術文化勲章「シュヴァリエ」が授与された。

美術館が都市をめぐる未来

KAMUを10箇所に拡張していく計画を聞いたばかりだが、林田のスピード感ではあっという間に目標を達成できそうだ。思い切って、もうひと段階先の展望を聞いてみたところ、また面白くてスケールの大きなアイデアを語ってくれた。

「KAMUが10館できると言いましたが、その後の展望で言うと、Mobile KAMUをつくりたいと考えています。仮設で建てられる、全国に持ち運べる美術館です。昔から、作品を保管しておく倉庫は非効率的じゃないかと思っていたので、作品がなるべく多く鑑賞されるようなシステムを作りたいと思ったんです。地方の国際展示場みたいな場所でもいいし、駅近くの空きスペースに仮設で建てても良い。建築自体も面白いものにして、サーカスのように巡業、巡回できるイメージです。収益はトントンになれば良いので、こうやって全国に『KAMU』の名を知ってもらって、できれば最終的には金沢のKAMUに送客できる仕組みになればと考えてます。ザハが建築した、シャネルのモバイルパビリオンにインスピレーションを受けました」

林田は、アートコレクターであり、マーケターだ。直接会って話を聞くまでは、32歳にして私設美術館をつくり金沢の街を元気づけたという偉業のイメージから、視座の高いロマンチストのような人格だと勝手に想像していた。しかし実際の彼は、都市と観光の関係、文化芸術産業の市場を論理的に分析し美術館を経営する、清々しいほどのリアリストでもあった。昨今、林田のようにマーケティング視点を持った民間の人材が、好きな街で好きなことをどんどん形にすることで、街の回遊性を高めたり、人の繋がりを生み出し、街全体に影響を与え始めている。(あくまで公共空間の活用ではなく私有区画での自発的な活動だが)広義でのタクティカル・アーバニズムとも言えるかもしれない。どんぶり勘定ではなく緻密に経営計画された各自の前向きな活動が、結果的に地域興しにつながり、日本全体が少しずつ変革していくと思うと、わくわくする


Text:REIKO ITABASHI
Photo:TETSUTARO SAIJO