受け入れて、受け入れられて、歴史を前に進める

コリアンタウンとして知られる東京・新大久保に2020年10月にオープンしたアートスペース/コミュニティーセンターの「新大久保UGO」は、そこに参加するアーティストの多様性で話題を集めている。その運営に携わる丹原健翔は、自身の作品の制作、美術展のキュレーション、アートを扱うサービスの立ち上げなど、様々な活動を行なっている。新しいアートコミュニティーを新大久保という場所で育む彼の目に映る、人と街と歴史から生まれるアートというムーブメントとは。

ギュスターヴ・カイユボットという人がいなかったら、19世紀の印象派という存在は歴史に残っていなかった。彼は自分でも作品をつくりながら、ほかのアーティストを支援し、サロンと呼ばれる場所をつくり、コミュニティーに貢献していました。モネやルノワールほど名前は知られていませんが、ムーブメントの立役者として評価されています」

韓国料理店や韓流グッズ店が立ち並ぶ大久保通り。平日でも人通りが戻りつつあるこの大通りから少し入ったところにアートスペースの新大久保UGOはある。この場所の立ち上げメンバーであるアーティスト/キュレーターの丹原健翔は、自分がやっていることは「身の回りの人たちの活動を美術史に載せる」ためなのだと語りながら、自分が影響を受けた人物として、新大久保のイメージからはほど遠いかもしれないパリのアーティストを挙げた。

もともとアメリカでの大学時代にアーティスト活動を開始し、帰国したのちは創作と平行してブロックチェーンをアート分野で活用するために奔走している丹原は、2020年からこの新大久保UGOの立ち上げ・運営に携わっている。自らもアーティストとして作品を発表しながら、キュレーターとして展示を企画、さらにはアートを扱うスタートアップの代表としてプロダクトも発表してきた彼は、なぜアートスペースをつくろうと思ったのか。

「目の前に必要な人がいるからです。たとえば、COVID-19の影響で美大に行けなくなった学生は作品をつくる場所が必要になります。さらにいえば美大のようなリソースがつかえないアーティストにもアトリエが必要です。もともと2020年の3月にオープンしようと思っていましたが、展覧会やイベントが難しくなったので、アーティストの仲間たちが泊まり込みで共同制作ができる場所としてつかっていました」

出鼻をくじかれるかたちになったものの、10月に正式にオープンし「UGO祭2020」を開催したのちは、ファッションアーティストrunurunuの個展を開催し、アーティストたちのフリーマーケットを開催、徐々に活動を再開している。取材で訪れたときは、公道からUGOまでの道をつかった路上展示「UGOのロードモデル vol.0」(企画:金色の愛・ユンボ)が行なわれていた。

唯一性をもつ。受け入れる。

「もともと物理的な場所の価値を信じてスタートしたプロジェクトだったので、自粛の影響に戸惑いはありました。ただ、もともとあった『自分たちの場所』が欲しいという思いが、『やるべきこと』に具現化してきました。 ここを人を受け入れる暖かい場所として機能させられればと思っています」

世界では多様性を掲げるアーティストのコミュニティーが増えつつある。黒人や女性、LGBTQといった人々が自分にしかできない作品を発表することで、社会の課題と向き合うムーブメントが起きつつある。新大久保UGOでも、「美術関係者のためのジェンダー、セクシュアリティに関する言語表現勉強会」を行なうなど、「当事者性」に焦点を当てた活動を行っている。もともとアジア人としてアメリカで活動してきた丹原は、自身を受け入れてくれたコミュニティーに救われたことがあるという。

「もともとは、誰でもウェルカムな場所をつくるつもりでした。ただ、ぼくのなかでは他の場所で受け入れられない人たちを守るような空間であるべきという意識が高まってきています。できるかぎり、中心ではなく外側にいるマージナライズドされた人たちのための場所であるべきだなと。最近だと、アメリカのLatinxやブラックのLGBTQカルチャーやコミュニティから生まれたヴォーギングとよばれるダンスの国際大会が会場としてUGOを使ってくれました」

ただ、世界でBlack Lives Matterなどのムーブメントが盛り上がりをみせるなかで、日本がその流れのなかにある感覚は薄い。スポーツひとつに目を向けても、アメリカやヨーロッパと比較すると均質的な社会である日本では、多様性の価値に対する意識が遅れていることは否定できないだろう。

「世界的にみると『ダイバーシティ』を扱ったアートは、実際トレンドとして伸びています。作品の売買の話としてもそうですが、美術全体のなかで、個個のアイデンティティや葛藤、ルーツと向き合った作品が増えてきているんです。その人にしかつくれない『唯一性』が評価される時代になりつつある。この流れはどんどん大きくなることは間違いない。そういう作品がもっと日本でも生まれ、もっと世界で評価される流れをつくっていきたいんです」

持続させる。場所に根ざす。

そのためには、コミュニティーを持続させることが重要なのだと丹原は言う。もちろん新大久保UGOを運営するのにもコストがかかる。大規模なイベントを実施することが難しいいま、現実的にこの場所を運営するためにサブスクリプションサービスをスタートした。

「1000円ぐらいから数万円のコースがあるのですが、毎月数万円の福袋を販売しているわけではありません。その金額分、この場所で救われる人をサポートする仲間になってもらっていると考えています。あくまでそのお礼として、UGOの実行委員会のメンバーの作品が届いたり、非公開イベントに招待させていただいたりしているというスタンスです。たとえば、メンバーになると新大久保UGOのインスタグラムの『裏アカウント』をフォローできるようにしています。そこにはメンバーの日常やイベントを準備している写真がアップされている。あとは毎月支援者への報告会は欠かさずおこなって、議事録も共有しています」

また一方で新大久保という場所に根付くことも、持続のためには不可欠だ。アートは都市に対して大きな影響を与えてきた。屋外に設置される壁画や彫刻、新しいアートギャラリーが、ジェントリフィケーションと呼ばれる都市の急激な富裕化と、もともとの住民の排除を促進してきた側面があることは否定できないと丹原はいう。

「空間を変えるという意味で、アートは低コストで大きな効果をもたらす武器になりうるんです。それは時に既存のカルチャーや人々の暮らしを壊す力になってしまう。ぼくたちはUGOがもともと住んでいた人たちのコミュニティーを壊すことは臨んでいません。新大久保は、歴史的に新しい人々を受け入れてきた街です。 だから、できるだけそこになじみたいし、できるだけここでしか不可能な場所にしていきたいんです」

スペースを運営しはじめて、実質ちょうど1年。実際に新大久保の地元のコミュニティーからのサポートがなければ、いまのような活動はできていないという。もともとこの場所には、魚屋さんや労働者向けの居住施設だったという歴史をもつが、現在は新大久保UGOとして受け入れられつつある。作業をしているアーティストが近隣住人から差し入れをもらうこともある。

「忘れられないのは、オープン直前にカッティングシートを貼りながら看板をつくっていたら、ネパール出身のおじさんがきて『そんなんじゃ全然だめだよ!』っていわれたこと。怒られるかと思ったら、結局看板の制作を手伝ってくれたんです。差し入れにビールをもってきてくれたりもして。オープンしてからは、友だちとバースペースに飲みに来てくれるようになりました」

歴史を更新するための場所

丹原の話を聞いていて、その視線には、様々なレイヤーがあると思った。一人のアーティストとして新大久保UGOをある種の作品としてつくる。キュレーターとして、作品を集め展示をディレクションする。ビジネスマンとして、その継続性を持たせる。そして個人として、友人たちとこの場所で活動すること。そんな彼の動きはひとつの思いに集約される。

「美術史の1ページになりたい。ただ、教科書に載りたいわけではないんです。アートというのは歴史がなければ存在しないものです。どの時代も、トップアーティストはつねに過去の文脈を意識しつつ、それをアップデートしてきました。いままでになかったものをつくったり、評価されてこなかったものに光を当てることが、アートの本質だと思うんです」

たとえば丹原が挙げる例は、草間彌生。20世紀には国際的にまだ評価されていなかったが、1998年にMoMAのキュレーターによって「発見」され、アンディー・ウォーホルなどが草間から影響を受けてきた歴史が明らかになった。草間彌生がつくってきた作品は変わらないが、美術史という文脈に載ったことで評価が大きく変わった。そんな新しいものを受け入れる目線こそが、丹原がつくりたいものなのだ。

「自分の目の前で活動しているアーティストの価値を、歴史のなかに位置づける。それが自分のなかでの成功の定義です。100年後、ダイバーシティを軸にしたアーティストたちがいたコミュニティが新大久保UGOにあった。誰かにそう思ってもらえたとき、アートという歴史が前に進むと思うんです」


Photo:VICTOR NOMOTO
Text:SHINYA YASHIRO