ジントニックという扉を開けば
昼間から開いている明るい店内の棚には、所狭しと多種多様なデザインのボトルが並ぶ。アパレルのような内装の「Antonic」で供されるのは、あらゆるバーカルチャーへの入り口となる飲み物“ジントニック”だ。この自由でユニークな飲み物を世に広めようと、ジントニック専門店である同店を2020年10月にオープンした武田光太、留以夫妻。そこにあったのは、酒業界への愛と尊敬、そして二人三脚が可能にする新しい世界への挑戦だった。
「共通言語を出来る限り探して」
ジントニックの主役となる「ジン」は1689年にオランダからイギリスにわたり、その後産業革命によって労働者を中心に人気が炸裂したスピリッツだ。蒸留の際にジュニパーベリーやボタニカルを加えてつくられるのが大きな特徴でもある。このボタニカルにルールはなく、まるで香水をつくるように、果物からスパイスまで幅広い成分が使われるため、ジンは“飲める香水”とも称されている。ジントニックとは名前の通り、ジンをトニックウォーターで割った爽やかな飲み口のカクテル。酒に詳しくない人でも名前だけは聞いたことがあるような、著名なドリンクである。この、名前だけが先行しているとも言える状態に、武田夫妻は目をつけた。ジントニックというキャッチーな飲み物を入り口に、バーカルチャーを広めたいと考えたのだ。
「私たちのメインとしているお客様は、ジントニックがジンとトニックでできていることもわからない人たち。知っている共通言語を出来る限り探して、洋酒の入り口となるようなお店をつくりたかったんです。ジンは何からつくってもどの国でつくっても何を漬け込んでもいいので、例えばラベンダー、りんご、ぶどう、グレープフルーツ、クミン、カルダモンなど、お酒という風に考えなくても知ってる言葉が沢山出てくるところがキャッチーだなと思います。どんな頼み方をしても当店では度数の高い状態で出すことはないし、わかりにくい味のジンも置かないようにしています。ここに来る大半の方はまだまだこれからお酒のことを覚える段階なんですよ(光太)」
ジントニックを知らない人たちに、ジントニックのなかの多様性を感じてもらう。そんな目的で生み出された店の棚は、世界地図をイメージしている。棚の左上が北欧、右下が南米という配置になっているので、国を思い浮かべて直感的にジンを選ぶこともできるのだ。また、ある程度しぼった数のジンを置くのにちょうどいいスペースになるよう棚のサイズと奥行きを設定することで、選び抜かれた100本前後のジンがずらりと1列に並び、その顔を見せている。光太は、店に置くジンを選ぶ際の考え方として、3つのルールを設けていた。
「7年間、クラフトジンブームを消費者の皆さんが感じる前から、ずっとそれを営業する仕事をしていました。たしかに多種多様になってきて日本でもたくさんつくられるようになってきましたが、きちんとセレクトしないとお客様にとっては選べないことが多いと感じています。ジントニックにはしづらいジンであったり、好みが分かれるジンが増えてきているなかで、一定のルールを設けなきゃいけないなと思いました(光太)」
まずは、できるだけ世界中の商品を集めるようにしたという。一般的に酒は、使う素材や生産国が決まっていることも多く、世界中でつくれるものは多くない。一方ジンはジュニパーベリーさえ入っていれば原材料はなんでもよく、国のルールもない。世界中でジンがつくられていることは、「Antonic」が最初に伝えたいメッセージでもある。
「次に、できるだけこの日本で安定して購入できる商品を扱うようにしています。レアな商品はその瞬間は面白いかもしれないけれど、また次に出合える可能性が少ないから、没頭できないと思う。好きになった商品を人と話したり別のところで飲んだりして、覚えてもらいたいんです。最後は、ジントニックにしておいしいこと。ジンには最近変わり種も増えてきて、変化が起きているんですけど、ジントニックにしてあんまり美味しくないものもあるんです。それが面白さかもしれませんが、もしかしたらそんなジンが誰かの人生の1杯目になるかもしれないので、そういったものはすべて外しました。ジントニックらしくなくても、お酒として美味しければいいんです(光太)」
「ただの液体から情報を持った液体になる」
ジントニックにこだわり、専門店と名を打った理由は、光太の実体験によるものだった。洋酒の輸入・販売を行う「レミーコアントロージャパン株式会社」に7年間務めていた光太。その前は酒にそれほど興味があるわけではなかったという。
「元々大阪の百貨店で腕時計の販売をしていたんです。営業職での転職を考えた時に、百貨店に務めていると、物が欲しくて来ている方と物を売りたい自分たちとの気持ちいい会話ができる印象があったんですよ。だから、“これがあると楽しい”みたいな『嗜好品』を売る仕事がやってみたいなと思いました(光太)」
レミーコアントロージャパンのほかに、実は全く酒と関係ない、高級家具や高級家電、高級食品の会社も受けていた光太が、そのなかで高級洋酒を選んだ理由は“人”だった。
「面接官が魅力的な人だったんです。この仕事が好きで30年間続けてきたと聞いて、当時25歳の自分にとって、好きで30年続ける仕事ってなんだろうと不思議で。仕事というより、その人に興味が湧いたという感じです。そこから日本各地のバーやイベントで色んな方と出会って、美味しいカクテルやウィスキーと出会って、のめり込むわけなんですけどね(光太)」
こうして洋酒の世界に足を踏み入れることになった光太が始めて自社の商品を味わって感じたのが、ストレートやロックだと度数が高くて飲めない酒があるなかで、「ジントニックは確実に美味しい」ということ。自身も洋酒の初心者だったことから、この経験がジントニック専門店の開業に漕ぎつくきっかけとなったのだ。しかし近年、若者の酒離れが進んだり、新規の飲み手が増えなかったりと、酒業界には危機を感じているという。そしてそれを解消するべく出した答えが「Antonic」だった。
「課題を解決するために必要なことは、バーへの入りやすさと、飲むことが体験になること。そのふたつを徹底的に考える必要があると思うんです。まず入りやすさで言えば、どんな店内でどんな人がスタッフにいてどんな人たちが飲んでるのかが見えないことは第一関門になる。そして注文の仕方と値段のわからなさもどうにかしないといけない。あとは、お酒全体にもカクテルにも言えますが、情報をもった飲み物だと思うんです。ただただコップに入った飲み物を飲むだけだと美味しいか美味しくないかだけだと思うんですけど、そこに私たちがこのお酒はどんな人がつくってどんなものが入っていて…というのを伝えた時に、ただの液体から情報を持った液体になると思うんです(光太)」
「“ただ可愛い”で全然いい」
武田夫妻にとっては、どうにかビギナーにとって難しくないお店をつくるというのがとにかくメインとするテーマだ。その言葉通り「Antonic」は、ジンを選ぶだけで注文が完結するジントニック専門店。バーに行き慣れていたり自分の好きな飲み方をすでに見つけていたりする場合には、ロック・ストレート・ソーダ割りなどももちろんできるが、こちらが指定しない限りはその割り方をジントニックとして提供される。「飲み方どうされますか?」の質問が省略され、バーに慣れない初心者にも優しいシステムとなっているのだ。しかも高い度数で出されることがないので、酔っ払い過ぎることもない。さらに極めつけは、外からでも中の見えやすい外観を持った路面店であるということだ。店への入りやすさを考えた時に重要になるのがこの外観や内装だが、そこには妻である留以の経歴が大きく影響している。
「私は東京の中古マンションをリノベーションして自社で施工するような会社に勤めていたんですけど、お店づくりをしていくなかで、色んなお店や住宅、空間を見てきた経験は大きく影響していると思います(留以)」
つい先日は、20歳になりたての女性ふたりが、調べたわけでもなく中目黒散歩をしているなかで、店のビジュアルに惹かれて扉を開けてくれたそうだ。たしかに「Antonic」はバーというよりも、アパレルや雑貨屋を彷彿とさせるような色づかいや雰囲気を纏っている。実際に店づくりをする際にも、飲食店はほとんど参考にしなかったのだという。
「店内づくりとSNSにかんしては“ただ可愛い”で全然いいと思うんですよ。行ってみたいと思うきっかけって様々で、何がフックになるかわからないですし。だからこそ、お酒以外のメディアやお店から学んだところはあります。今店内10坪くらいなんですけど、飲食店の中に自分たちの理想とする形がほぼなかったので、アパレルや雑貨系からデザインを考えましたね。表参道のMARNI、Plan C、Acne Studiosなどの色の組み合わせや素材感は参考にしました。目視で可愛いと思った写真を撮り集めて、イメージコラージュを合わせていって、お店をつくっていきました(留以)」
「ジントニック以外を出すつもりはない」
店内の明るさから内装まで、従来のバーとは全く違う形をとった「Antonic」。そこには、バーカルチャーの“入り口”としての飲み物を扱う挑戦への覚悟が詰まっていた。
「私たちはジントニック屋なので、明るい店内で、バーが初めてのお客様やジンが大好きなお客様にジントニックを提供する。もっとディープなバーの世界に入ってみたい……。例えばジンベースのフレッシュフルーツを使ったカクテルや、クラシックなカクテルも飲んでみたい、ウィスキーやラムにも挑戦してみたい、となった時には、私たちのお店ではジントニック以外のカクテルを出すつもりがまるでないので、色んなバーをご紹介して共存共栄していくつもりです。前職から退職後も全国のバーテンダーとのネットワークがあるので、Antonicで全ての需要にこたえようとは全く思ってないんです(光太)」
実際には、SNSで店を見つけて来る若者や酒ビギナーはもちろん、普段からバーに行くようなバーホッパーやプロフェッショナルであるバーテンダーの客も多いという。昼から店を開けているので、彼らの“0軒目”となっているのだ。また、ノンアルコールジンも扱っているため、カフェ感覚でこの店を訪れる客もいる。
「ただ酔っぱらいたくて来ているわけではない人が結構多いので、ジントニックとノンアルコールジントニックを交互に飲む方もいます。味や商品の奥行に好奇心があって、飲み比べに来ている方が多いですね(光太)」
「飲む人と飲まない人が一緒にバーに来てもらえるのが嬉しいです。お店の選択肢のひとつとしてバーが出てくる文化になればいいなと(留以)」
「バー文化の面白さは必ず伝わる」
武田夫妻と店長の3人で店は切り盛りされているが、この3人は元々飲み仲間だったという。
「私たち3人、全員関西出身なんです。関西から関東に出てくると友達が少ないので集まるんですよ。私はお酒の世界にのめり込んでからは勉強のために普段からお酒を購入するようにしていて。私の家だとお酒がほぼ飲み放題状態なので、みんなうちに集まるようになって。それで留以とも出会いました(光太)」
夫婦で共に仕事をすることに関して、「毎日一緒にいるのが当たり前で、私たちには合っていると思う」と語る光太。そもそも開業する前も光太はサラリーマンを謳歌しており不満もなかったが、ふたりの将来を考えた時に浮かんだのが今の夫婦二人三脚という働き方だった。店を開きたいという願望よりももっと先にあったのは、夫婦の絆。不思議と「私たちならできる」という確信があった。それは同時に、「何があっても私たちなら大丈夫」とでも言うような、ふたりの間の信頼関係が生み出す“余裕”でもあるのかもしれない。ひとりではなくふたりで挑んでいるという強さが、新しいスタイルへの挑戦を可能にしているのだろう。巷の“ジンブーム”に乗っかるわけでもなく、尊敬を持ってカルチャーとしてのジントニックを広めていきたいと語る武田夫妻。前に出て飲まれるべきユニークな1杯の価値を考え抜き、新しい体験を提供しようとするその姿には、たしかにジントニックが広まる確信というよりもジントニックを広める覚悟が感じられた。
「ジントニック自体の面白さももちろんあるんですけど、自分がこの先もっともっと伝えていきたいのはバーやカクテルすべての面白さ。世界的に見てもジントニックはその文化の入り口になる。そして入り口さえ開けば、バー文化の面白さは必ず伝わると思っています(光太)」
「ジントニックは労働者を癒すお酒だから、働きアリのantとかけて『Antonic』という名前にしたんです」ーーそう光太が語るように、美味しい体験を約束する「Antonic」は、私たちの1日の始まりや只中、そして終わりに、優しいエナジーを注入してくれる、新しいヒーリングスポットとなっていくことだろう。労働者の酒を一躍日本の人気者に。まだ見ぬ世界をつくるべく共に歩む、光太と留以の挑戦は続いていく。
Antonic
武田光太|1988年、大阪生まれ。腕時計の販売を経験したのち、レミーコアントロージャパン株式会社に転職し、洋酒の世界へ。現在は「Antonic」のディレクターを務める。
武田留以|1992年、奈良生まれ。“地元の産業に貢献すること”をモットーに中川政七商店の本社に勤めたのち、リノベーションの会社に転職。現在は「Antonic」のオーナーを務める。
Photo:VICTOR NOMOTO
Text:RIO HOMMA