滑らかに、新しい命のモチーフを繋ぐ

マリア像、ファラオといった宗教的なものから、ミッキーマウス、スーパーマリオといったキャラクター、自動小銃まで、色んな境界線を飛び越えてモチーフを使うKotaro Yamada。「生死」「信仰」のような主観的なテーマを扱いながらも、Kotaro自身の立ち位置は至極フラットだった。ポップさとシリアスさを繋ぐKotaroの作品は、いかにして生まれ海外のアーティストにまで届いているのか。現代を生きるスカルプターの肖像に迫る。

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「1回自分でつくれたら買ってあげるよ」

Kotaroが彫刻を始めたきっかけは、ちょっと変わった親の教育方針だった。幼少期、当時好きだったミュータントタートルズやX-MENなどの海外アニメのフィギュアを親におねだりすると、こんな答えが返ってきたという。

「『1回自分でつくれたら買ってあげるよ』と。僕は欲しかったキャラクターをティッシュや粘土で作っていましたね。おもちゃは作ればだいたい買ってもらえるので、ファミコンとかも紙芝居みたいにしてダンボールで作りました。それが造形の楽しみを知った最初です。絵(ドローイング)は好きじゃなくて描かなかったんですけど粘土はずっと好きで、幼稚園くらいからお絵描き教室みたいなところに週1で通っていました。技術を教えるというよりは、自分でカリキュラムを決めるような場所で、そこで粘土やプラモデルをつくっていました。他のことは続かなかったけれど、唯一これが中学生くらいまで続きました」

中学時代には同時に海外のパンクやミクスチャー、ニューメタルなどの音楽に魅了され、バンドを始めたKotaro。進路を考え美術予備校に通うようになったが、音楽に夢中になるあまり、予備校での成績は芳しくなかったようだ。しかし一方で、恩師との出会いもあった。

「予備校の先生でアーティストでもある、西澤利高さんの手伝いみたいなものをやらせてもらって。アートシンポジウムに連れていってくださったりしました。技術的なことっていうより、アーティストってどういう姿勢でどういうことを大事にしているかを、言葉ではないけど教えてもらいました」

また、ジュエリーデザイナーのJustinDavis氏も、Kotaroが最も影響を受けたアーティストのひとりだ。Kotaroがアーティストとして生きていきたいと思ったのは、Justinに「アートを続けた方がいい」と言われたことがきっかけでもある。

「15歳くらいの時に、海外のミュージシャンが身に着けているのを見て、JustinDavisが好きになりました。19歳くらいの時に彫刻を作って彼のジュエリーを巻き付けた写真をダイレクトでメールで送ったりしてたら返ってきて、『会おうよ』と。彼をイメージしたスカルをプレゼントしたら喜んでくれて。それまで長く浪人していたので自信もなかったなかで、初めて認めてくれたのがJustinだったんです。それからは会いたい人にはダイレクトにコンタクトを取るようになりました。Linkin Parkのマイク篠田に会ったりとか、Rancidが東京に来た時にはボーカルのTimと作品交換したりしましたね。僕が彼らの音楽に影響を受けて作ったものはきっと彼らも好きだろうという謎の感覚でコンタクトを取っていたんですけど、結構フラットにアーティストとして見てくれて嬉しかったです」

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「全部完璧につくってから潰す」

そんなKotaroのルーツには、お寺の存在があった。それもあってか、扱うモチーフには宗教や生死といったものが関係してくることが多い。

「母方の実家がお寺で亀戸にあるんです。僕は一人っ子なんですけど、お寺にいとこがいるので、夏とかそこで遊んだりすることが多くて。仏様を拝むことが日課としてあったんですね。本堂で仏像に手を合わせることが自然とあったなかで、幼稚園の時にアメリカ人の友達ができて家に遊びに行ったらそこに仏像みたいなものがおもちゃのように置かれていたりとか、明らかに自分が拝んできたものと違うようなインテリア的な扱いを受けていて、あれなんだったんだろうな?と違和感を覚えて」

仏教徒でありながらキリスト教の幼稚園や中高に通っていたというKotaro。「かっこいいから」という理由でマリア像を家に飾っていたが、敬虔なクリスチャンの家に行くと祈りの対象として明らかに置物ではない扱いになっている。今度は逆の立場で物を見ることになったのだ。

「立場とか環境とか国によって神様になるかもしれないしガラクタにもなりえる存在っていうのがすごく興味ぶかくて。ミッキーとかキャラものも扱っていますが、これらも人によっては神様みたいに扱う人もいる。でも、僕はどんなモチーフもわりとフラットに扱っていますね」

一番近い作品では、マリア様や仏像など宗教的なモチーフの顔を鏡面にしたシリーズを発表。各々が抱く「顔」のイメージを大切にし、顔を失くした時の存在の変容を表現した。

「僕が思うマリア様はちょっと微笑んでいるかもしれないけど、別の人はちょっと悲しいマリア様を思い描いていたり。顔って結構重要なんだなと思って、それを鏡面にすることで完全に失くしてみました。ただ全部1回ちゃんと作るっていう工程は大事にしているので、全部完璧に作った状態で最後に潰すんです。ほっぺたとかしか残らないんですけど、そこにもその人なりの表情とかリアリティがあるなと思っているので」

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「ちょっと違う“死”という感覚」

またKotaroは作品をつくる上で、金や銀、鏡面に「うつりこむこと」を大事にしている。

「鏡みたいにすることで自分もそこに写り込みますし、他者も景色も写り込む。僕なりに期待をこめて信じているのは、“目に見えないなにか”も写り込むんじゃないかっていうことですね。だいたいくすんだ金属をみがいてピカピカにしたりとか、なんでもない液体をかけて焼くことで鏡面になって自分が現れてきたりすることがあるので、そこは大事な要素にはなっています。顔だけフェイスレスみたいにすると、そこに表情を投影する人もいる。そこが面白さのポイントなのかなと」

宗教的なアイコンのほかに、“LIFE&DEATH”のテーマで制作した自動小銃のモチーフも印象的だ。引き金やグリップなど身体に触れる部分に棘のようなクリスタルをつけて、使用できないような形態に仕上げている。

「AK47を最初に選んだ理由は、人類史上一番人を殺してる武器だから。死の象徴としてそのモチーフを扱っていました」

また生死という文脈で考えると、Kotaroが使用するモチーフとして骸骨が挙げられる。最近では、自分の作品を手に入れてもらいたいという想いから、おもちゃの価格で買えるソフビ人形「ME」もリリースした。しかし死に対するKotaroの考えは、恐怖はあれど暗すぎるものではなかった。

「死に対しては恐怖もわりと小さいころからあったんですけど、それは自分が死ぬ恐怖というより身近な人が死ぬという恐怖。綺麗だからという謎の理由で、祖母に亡くなった人の顔を見せられることがあって。あとはパウダー状になった遺骨が大量に入ってる供養塔に肝試しでふざけて入ったりとかもしていたので、死っていうものがちょっと違う感覚で入ってきてて。ソフビとかスカルのキャラクターは、メキシカン・スカルみたいなのをイメージしたわけではないんですよ。やっぱりあんまり悲観的、悪い印象の死のモチーフにはしたくなかったので、そういう意味ではポップにしたいっていう部分もあって、ソフビ人形の『ME』はああいった形になっています」

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「あくまでもひとつのモチーフとして」

宗教や生死といったテーマは、日本ではあまり正面から向き合わないものともいえる。日本でそういったテーマを扱うことを、Kotaroは意識しているのだろうか。 

「作品にあまり深い重たいメッセージは持たせたくないので、あくまでもひとつのモチーフとして扱うようにはしてます」

特に展示では、生で見てもらえたりそこに来ている人々と話をすることで色んな意見が聞けることから、コンセプトを大っぴらにすることは少ないという。

「こないだの展示には、ジーザス・クライストとマリア、不動明王、ガネーシャ、ファラオ、中国の武将の関羽とか、崇められているモチーフを一緒の台座に集合させた作品をつくりました。海外の友人に送ったりすると、熱心なクリスチャンとかでも『作品として面白いね』というポジティブな意見が多かった。でも日本の展示だと年齢層様々な人から『これって大丈夫なんですか?』『まずいんじゃないですか?』と言われて。その人たちと話していくと、どこの宗教にも属していなかったりする。本当に何か信仰している人は自分のなかでブレていないので、まったく別のものとして扱っているんだなというのが面白かったです。アイコンを使う時は、一個のモチーフに意味を求めないようにはしています」

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「皆ある意味アーティスト」

Kotaroは自身の作品のほかにコミッションワークとして、宝蓮寺の永久供養塔にモニュメントをデザインしたり、蜷川実花監督作品の映画「Diner」に出てくるナイフをデザインしたりしている。Kotaroにとって外部と作品をつくりあげていく、コミッションワークとはなんなのだろう。

「僕に仕事をくださる方は僕のカラーを好んで頼んでくれてるので、わりと自由。普段作っているようなテイストで出せばいいので、自分の作品という感覚はすごく強いです。例えば『Diner』の時も、デザインから自由にやらせてもらえたので楽しめました」

また自身の作品とコミッションワーク以外にもKotaroが活動しているプロジェクトがある。6年ほど前に3人で始めた「BESSO」という名のプロジェクトだ。

「“ドアさえあればどこでも展示できる”っていうどこでもドアみたいなコンセプトで、使わなくなった別荘に滞在して何かつくって、人は呼ばないんですけど、写真におさめてアーカイブしたりだとか、宮下公園に急にドアをおいてそこに遊具と全く一緒の見た目のスカルをおいて知らない子供が座ったりとか。どういうアクションを今の時代で起こすのが面白いのかを考えて起こすプロジェクトです。ほかにもシルバニアファミリーの家のなかに作品を展示したり、こないだはコロナで外に出られなかった5月くらいに、ドイツと東京でモールス信号みたいなので“B/E/S/S/O”と点滅させた映像をお互い撮って1本の動画にしたり、1年に1回くらいの頻度で、普段とはちょっと違う制作活動をしています」

様々な活動を通して、アーティストとしての地位を確立してきたKotaro。最後に、アーティストとしての自分をどう意識しているのか聞いてみた。

「職業としてアートをやってると言うと、漠然と『凄いね』とか『特殊だね』って言われることが多くて。ただ、例えばねじの工場を見せてもらった時にその職人の考えてること、求めてることは僕と変わらないなと感じました。僕は立体を作って表現してますけど、何かを目指してる人たちは表現が違うだけで、みんなある意味アーティストなんですよね」


Photo:VICTOR NOMOTO
Text:RIO HOMMA