例年、祇園祭で人があふれ返る京都の7月。今年はCOVID-19の影響で同祭の目玉である山鉾巡行は、58年ぶりの中止。静かな2020年の夏を、これまで伝統を受け継いできた「町」はどう迎えたのか。500年近い歴史を誇る放下鉾の運営の裏側に迫りながら、実施されなかった世界最古の祭りをレポートする。

祇園祭では、7月12日〜17日に行なわれる前祭(さきまつり)7月20日〜24日に行なわれる後祭(あとまつり)合わせて33の山鉾(やまほこ)と呼ばれる町ごとに受け継がれてきた鉾(装飾付きの動く二階建ての出し物)が市内中心部に姿を現わす。それぞれの鉾には名前があり、その鉾が立てられる町の住人によって構成される保存会が管理・運営を行なっている。今回は、「中京区新町通四条上ル小結棚町(こむすびだなちょう、こゆびだなちょう)」に位置する放下鉾の保存会に話を聞いた。

祇園祭では、鉾の上で奏でられる「お囃子(はやし)」とよばれる音楽が響く。太鼓、笛、鉦(かね)の3つのパートは、囃子方(はやしかた)の担当。毎年6月、7月は会所(かいしょ)とよばれる保存会本部の2階で練習を行なうが、今年は感染拡大防止のため練習も中止となった。

祇園祭の山鉾は、鉾ごとに異なる華麗な装飾である懸装品が見どころで、「動く美術館」とも称される。保存会がある山鉾町と呼ばれるエリアには呉服商が多かったため、彼らの培ったセンスと財力が鉾ごとの個性として発揮されたという。放下鉾の見送(みおくり)と呼ばれる後部の装飾には夕闇のイスラム寺院とフクロウが描かれている。シルクロードを通じてヨーロッパや中国から伝来したエキゾチックな意匠も珍しくない。

鉾では、例年会所を伝統の装飾品で飾り、休息所として公開し、粽(ちまき)や手ぬぐいなどを販売する会所飾りが行なわれる。多くの鉾に上がることができるが、女人禁制の伝統を守っている山鉾もある。放下鉾では、鉾に女性が上がることは禁止だが、女性のスタッフが販売などを手伝っている。

そもそも、祇園祭は無病息災を祈る御霊会(ごりょうえ)と呼ばれる鎮魂祭にルーツがある。稚児と呼ばれる5〜10才の少年に神が宿り、鉾を先導してきた。生身の人が務める稚児は「生稚児」と呼ばれるが、放下鉾では1929年から稚児人形を載せている。

「持ち帰る祇園祭」ともいえるのが粽(ちまき)。笹の葉で作られた厄病・災難除けのお守りとして購入され、民家の玄関の上に飾られる。京都の家や飲食店で見かけることが多い。放下鉾では今年は一般販売は行なわず、関係者にのみ配布した。ただし、インターネット経由で配布・販売を行なった鉾もあったという。

公益財団法人放下鉾保存会の川北昭理事長。曽祖父の代から放下鉾の運営に携わってきた。代々、放下鉾が設置される小結棚町に住んできたという。山鉾巡行は行なわなかったが祈祷などの神事は保存会の一部のメンバーで実施した。「このあたりの土地に住んでいる町人は、昔から自治の意識が強い。住民のつながりがあるので、一回の中止で伝統が途絶えることはありません」

山鉾や囃しに使う太鼓などの物品は会所の奥にある土蔵に保存される。土蔵は1849年に、会所は1867年に建てられたもので、京都市指定有形文化財となっている。

放下鉾では、土蔵から会所へと19mの橋を渡し、山鉾の部品や装飾品を取り出す独特の建築が特徴。2階に格納されている装飾品などは、に1階に降ろすことなく、設置された鉾に直接運搬される。

2020年の夏には、普段3日かけて行なわれる組立である鉾立てが行なわれることはなかった。鉾の部品が入る土蔵は保存会が管理し、鍵がかけられ、夏以外はあまり開けられることはない。

鉾の部品の多くは、伝統的に受け継がれてきたもの。たとえば鉾を支える角柱の「石持」と呼ばれる部品を放下鉾では2019年に128年ぶりに新調した。30年前に木材会社に発注した、2000年に発見された松の巨木を19年間乾燥させたという。

鉾を支える部品の数々。25mほどの高い建築物である鉾が人力のみで立てたり動かしたりできるのは、江戸時代から続く町家大工の技術の粋が込められているためだ。

鉾は、30〜50人程度の曳き方と呼ばれる専門のスタッフが行なう。大学生などのボランティアが参加することも多い。扇子をもった音頭取りと呼ばれる人々が掛け声と扇子で、進行と停止の合図を送る。

会所の前の道路に埋め込まれた山鉾の四本柱の位置を示した礎石。例年祇園祭りの前後2週間にわたって、京都市内の道路の一部が通行止めとなる。祇園祭の会場は、町そのものだ。

山鉾の高さは25mほどにもなるため、普通に巡行すれば信号機に当たってしまう。そのため、山鉾が巡行する通りに面した信号機は、巡行前に折り畳めるような構造になっている。巡行が終わった直後に信号機はもとに戻され、交通規制が解除されると山鉾巡行は終わりとなる。

山鉾巡行メインストリートとなる四条通り。巡行以前にも多くの鉾が設置され、巡行前日で最も盛り上がる「宵山(よいやま)」には、2019年には32万人の人出を記録した。

放下鉾は巡行時には四条新町(写真中央左)から、四条通りを東に1kmほど進み、御旅所(おたびしょ)と呼ばれる八坂神社の出張所に到達したのち、そのまま河原町通りへと北に進み、御池通りを通って四条新町へと戻る。鉾がグルリと巡行するエリアは、銀行や百貨店などが軒を連ねる京都の中心地だ。

山鉾が集まる御旅所の横には、普段は「Otabi Kyoto」という土産物屋として営業している商業施設(写真左)がある。祇園祭のタイミングで、この土産物屋に八坂神社から神輿が運ばれ祭りの人が最も集まる場所となる。ただ、2020年8月中旬の取材時にはCOVID-19の影響かOtabi Kyotoも営業を中止していた。

放下鉾の川北理事長は「今回の中止は事件ではない」と語った。祇園祭という日本、そして世界から人が集まる祭りの中心には、人が暮らす「町」がある。そもそも町の人々が自分たちの無病息災を祈るイベントが、現代になり多くの人が集まるようになったにすぎないともいえる。「祭りは誰のためにあるのか?」。2020年の静かな夏は、世界最古の祭りの原点を思い出させてくれたのかもしれない。


Photo: VICTOR NOMOTO
Text: SHINYA YASHIRO
Special Thanks: TAKESHI KUBO