「盗んではいけない」というルールや前提を取り払ってみると何が起こるのか? 2020年7月10日にsame galleryで開催された「盗めるアート展」は、鑑賞者が作品を盗むことが許可された、日本では異例の企画展となった。密着からみえた現場での経緯と予想しなかった顛末を記録に加え、2020年代の文脈に今回の試みを位置づける考察を記したい。

品川区荏原のギャラリー・same galleryにて、「盗めるアート展」が開催された。7月10日の午前0時から、展示されている作品を誰でも盗めるというものだ。会場は24時間無人でオープン、セキュリティはなし。すべての作品が盗まれた時点で会期終了とのこと。

same galleryは2020年春に誕生したばかりのギャラリー。same galleryを運営する「same」には、アーティスト、ミュージシャン、デザイナー、編集者やライターといった多様なジャンルのクリエイターが所属している。

2階建ての古民家を見つけ、10名のメンバーや仲間たちが内部をDIYで改装したそう。周囲は住宅地、狭い道路に面している。

1階はギャラリー、2階は関係者の作業場やオフィスとして利用されており、アーティストやクリエイターが集うたまり場になっている。

samegalleryでは、3月にオープニングイベントとして「bring your own art party」という展覧会を開催。内容は、自分の作品を自由にギャラリーに展示して良いというもので、こちらもユニークなものだった。「盗めるアート展」も当初は4月の開催を予定して告知もされていたが、とりわけ大きく取り沙汰されることはなく、COVID-19の感染拡大状況に配慮して7月に開催延期になった。

今回、「盗めるアート展」に作品を展示したのは、exonemoや加賀美財団コレクション、五味彬をはじめとする10アーティスト。”知る人ぞ知る”と言うにはとてもメジャーな、いずれもファンのいる個性的な作家陣で、主催者が”作品を盗まれても喜びそうな人”に声をかけたそうだ。

7月9日17時頃からは、プレス向け内覧会が開催された。この時間帯は盗む行為は禁じられていて、関係者やメディアがゆっくりと作品を観たり撮影しながら、作家へのインタビューなどを行っていた。

会場となるギャラリーの内外には、各所にルールが掲示されていた。”盗める作品は1組につき1点まで”、”アート泥棒同士譲り合いましょう”、”近隣の迷惑にならないよう静かにマナーある泥棒行為をお願いします”……といった内容だ。

村田実莉 「GODS AND MOM BELIEVE IN YOU.」(2020)|入ってまず目につく作品のひとつ。作品名が記された大量の偽クレジットカードが、財布とともにギャラリーの床上にばらまかれるように配置された。インドにしばらく住んでいたという彼女。中には本物のインド通貨も散らばっていた。

平野正子「Narcissi」(2020)|村田実莉とともに2016年にアートユニット「skydiving magazine」を結成し、同名のヒューマンヴィジュアルマガジンを年2回刊行している平野正子は、現在ベルリン在住だそう。作品には彼女自身の姿が2人描かれている。

NAOKI “SAND” YAMAMOTO「Midnight Vandalist」(2020)|”30分毎に一枚盗まれても、3日はもつように日めくりカレンダー的な作品を展示しました”と作者は自身のInstagramで語っていた。盗めない、盗みにくい作品をつくる作家と、みんなに盗んでもらえる作品をつくる作家。ユーモアや優しさが見え、泥棒のリアクションに期待が膨らんだ。

exonemo「アートブレスト」(2020)|exonemoがブレストしてボツになったアートコンセプトのメモ群。よく読むと、実は全て実在する他アーティストの作品のコンセプト。25枚のふせんは、1枚ずつ簡単に剥がして盗むことができる。

Merge Majurdan「セル フ ディヴィジョン」(2020)|上質なスカーフ生地の作品。Merge Majurdanは、国内外のデザイナー・イラストレーターが集まり、2019年に始動したブランドだ。

作品にはハサミが繋げられており、作品名「セル フ ディヴィジョン」の通り、各々がセルに沿って(または自由に)カットして盗めるように誘導されていた。

中村譲二「モナリザを盗んでみたい人の為の」(2020)|誰もが一度は夢見る、”モナリザを盗む”という野望をかなえるべく、新しいモナリザをつくりチャンスを提供してくれた。泥棒想いの優しい作家だ。

五味彬「井上陽水 1987」(1987)|唯一、新作以外の作品が展示された。

伊藤ガビン「マイマネー」(2020)|本物の1万円札をさまざまな形になった作品。

YANG02(やんツー)「White Cube」(2020)

現代美術用語辞典より引用された「White Cube」の定義が額装されて展示された。すぐそばには、実際にホワイトキューブ、すなわち白い立方体がどっしりと佇んでいた。最も重く、盗み運ぶのか難しい作品だろう。実は、この作品「White Cube」は、白い箱(展示空間)であるギャラリー自体、same galleryそのものも指し示している。

加賀美財団コレクション「Untitled」|こちらは、”ギャラリーへ持ってくる途中に盗まれました”という手書き文字を拡大コピーした作品。物質としてのこの紙は重くもないし簡単に剥がして盗めるが、すでに盗まれているので誰にも盗めないという頓智の効いた作品。現代アートに対するシニカルさが魅力的なKEN KAGAMIらしいアプローチだ。

ギャラリー内には、複数の監視カメラが設置されており、会期中には映像をリアルタイムで中継する予定もあった。つまり、盗むことは公式に許可されているとはいえ、通常はタブーである泥棒行為の様子を全世界に公開されてしまうということだ。このような条件下で、善良な鑑賞者がどのようなジレンマを抱き、どのような行動をとるのか。鑑賞者やアート泥棒といったギャラリーの来訪者たちの存在を含むインスタレーションとして、ハコの中に収まらない、ひと段階メタ化した大きな現象として鑑賞できる企画展だ。

ギャラリー側から提示されたルール。”ご自身のプライバシーを守りたい方は、マスクや仮面を着用した上でご入場ください”という文言もあり、顔を隠したり仮装することにより匿名性を生み出す提案がされた。今回の企画展のウェブサイトやフライヤーには、”美術館やギャラリーという守られた展示空間との既存の関係性が壊された空間で、現代における芸術作品のあり様を違った角度から捉えなおす機会となったら幸いです”と記されている。盗まれるという前提を理解したうえで、参加アーティストはどのような作品をつくるのか、鑑賞者と作品の関係性は変化するのか。さまざまな視点で2020年のアートやそれをとりまく環境を考えるために設けた場だという。

中原街道に面した住宅街。稀に見る悪天候にもかかわらず、日が暮れ始めると次第に人影が増え、巡回中の警察官も何が起こっているのか確認していた。

本来は関係者やメディアのみへの内覧だったが、早めに待機していたアート泥棒予備軍たちにも、特別に下見の許可が与えられた。たまたま通りかかって興味を持った近所の親子連れもあたたかく迎えられた。ギャラリー外にできた人だかりをいったん内部に入れ、周辺地域の混乱を抑えるための対処でもあったという。

開始数時間前から脇で静かに待機していた泥棒のひとり、普段は会社員だそう。Twitterで拡散されていた投稿で「盗めるアート展」を知り、Amazonで即泥棒グッズを購入したとのこと。初めての泥棒となるこの日に備えて念入りにコスチュームを考えてきたそうで、唐草模様と迷彩柄の多国籍カモフラージュのコーディネートがつぶらな瞳を際立たせていた。ギャラリーに入ることも可能だったが、”あえて下見はせずにぶっつけ本番で臨み、インスピレーションで盗みたい”という心意気を語ってくれた。

夜も更けて深夜0時が近づくにつれ、アート泥棒予備軍たちが集まり始め、街は異様な空気となった。運営側が想像するスケールをはるかに超え、200名以上の人が集まっていたという。

そして、23時35分頃、状況が動いた。荏原では囲いきれない人が車道まで溢れ出し、警察が本格的に出動。街の人々の安全を守るためにも、運営側は何かの形で対処せざるを得なくなった。あまりに収拾のつかないボリュームまで膨らんだ群衆をいったん車道からギャラリー内に引き入れようと、入口に貼られていた”立ち入り禁止テープ”を少しずつ剥がしてオープンの準備を始めたのだ。……その瞬間、この時を待っていたといわんばかりに、ギャラリー外ではち切れそうになっていた人々が押し入った。こうなると集団心理によりルールやモラルに対する意識は消えてしまうのだろうか。フライングかどうかを気にする者はいないように見え、我先にと作品が盗まれていった。ものの5分程度で、すべての作品が持ち出された。

本来の開始予定時刻だった7月10日午前0時には、ギャラリー内は”もぬけの殻”となり、運営スタッフから口頭で開催終了が周知された。前述のとおり、やんツーの作品「White Cube」は、ギャラリー自体(展示空間)を白い箱と定義していたため、これだけが完全に盗まれなかった唯一の作品となった。主催者は、”当初はこの作品(ギャラリー自体)が盗まれずに残っているというロジックで、「盗めるアート展」を終了させずに会期を続ける予定だったが、警察の指導により、それが叶わなかった”と語る。

狭い車道にはアート泥棒またはアート泥棒予備軍だった人たちと野次馬、警察、一般の通行車で溢れかえった。

午前0時をめがけ、思い思いの仮装をしたアート泥棒たちがどこからともなく集まったが、ギャラリー前で様子を見守っていた人から”すでに作品が無くなったこと”を伝言ゲームのように知る。深夜ということもあり酔っ払った状態で訪れる人も多く、大きな声で落胆の想いをもらした。やっと止んで蒸発し始めた雨が人々の異様な高揚感と混ざりあい、湿度が高く息苦しい夜だった記憶がある。

深夜0時に会場を訪れたアート泥棒たちは、作品を盗むどころか見ることもできなかった訳だが、翌朝にはインターネット上で目にすることになる。フリマアプリ「メルカリ」や「ヤフオク!」には、作品の一部たちが勝手に値付けをされ、販売されていた。

加賀美財団コレクションの「Untitled」を盗んだ泥棒は、もみくちゃになった現物1枚を110,000円で販売。加えて、それを自ら複製したものをそれぞれ2,500円で5枚分販売している。前述した通り、110,000円のものは既にコピーされた作品であり直筆ではないのだが、複製に複製が重ねられ、名画のレプリカのようなビジネスが生れている。

さらには、「盗めるアート展」に展示されていなかったものも大量に出品され始めた。まるで大喜利大会のように、盗めるアート展と結びつけたコンテキストがつくられ、さまざまな物品が関連作品として販売されている。

後日、same galleryのウェブサイトでは、当日の運営体制と準備不足に関する謝罪の文言とともに、追って、全展示作品をアーカイブ公開する旨が掲示された。今後は、全ての現象をまとめた図録を制作すべく準備中とのことだ。

表層的拡散が生んだ現象、”カナリア”の存在意義

今回の展覧会を知って、「Take Me (I’m Yours)」という企画展を思い出した人も多いのではないだろうか。これは、ハンス・ウルリッヒ・オブリストとクリスチャン・ボルタンスキーがキュレーションし50名以上のアーティストが参加した、作品を持ち帰ったり、私物を置いていったりできる企画展だ。(ミラノで開催されたこの展覧会は入場無料だが、実際に作品を持ち帰るためにはクリスチャン・ボルタンスキーがデザインした紙袋〈10ユーロ〉の購入が必要というものだった)

もとを辿ると、このプロジェクトのコンセプトはボルタンスキーによる「Quai de la Gare (1991)」から始まっている。それは、ボルタンスキーが集めた古着を来場者が“Dispersion”(分散)とプリントされたバックに詰めて持ち帰れるというものだった。1995年には、ロンドンのSerpentine Galleryで初めて実際に展示を行い、2015年から、パリ、ニューヨーク、ブエノスアイレスで再び開催された。作品を”観る”だけではなく、”触る”、”持ち帰る”、”置いていく”といったコンセプトは、1990年代から既に世に出されていたのだ。「Take Me (I’m Yours)」は、当時はおそらく珍しかった参加型の企画として、作品と鑑賞者の関係性に新たな風を吹き込んだことだろう。same galleryで開催された自らの作品を置いていける「bring your own art party」も、今回の「盗めるアート展」も、その系譜に位置づけることができる(後日主催者に聞いたところによると、「bring your own art party」は、参加者がプロジェクターを持ち寄って映像を投影し合う「BYOB」というイベントにインスピレーションを受け、公認でオマージュしたとのこと)。

一方で、これは「”持ち帰れる”アート展」ではなく、「”盗める”アート展」だ。”持ち帰れる”と”盗める”は、状況としては一見同じようだが、異なる意味が込められていると思う。「24時間セキュリティなしで来場者が自由に作品を盗んでよい」とあるが、おそらく「価値ある物品を無料配布したい」という企画ではなかったのだ。それは、”盗める”というワーディング、フライヤーやウェブサイトに書かれた企画意図やルール、鑑賞者/参加者を”アート泥棒”と呼んで尊重するような口調から汲み取ることができたはずだ。

主催者は、アートや人への愛や興味を持った善意の人が夜中にこっそりと集まり、ちょっとしたクリエイティヴィティやユーモアを発揮して、楽しい社会実験に参加してくれるのを期待していたのではないだろうか。筆者自身も、日本人らしい恥じらいや、泥棒として全国に中継で晒される戸惑い、”公認の初犯”に対する不思議な罪悪感など……人の既成概念が愉快に破壊される瞬間を見たいと思っていた。そして、インスタレーションの一部となって能動的に企画参加するチャーミングなアート泥棒の登場を心待ちにしていた。つまり、”何が起きるのかをこの目で観たい”と思って頭に浮かばせていたのは、暴徒化する人の群れではなく、いつか観た映画のようにロマンティックな盗難シーンだったのだが、それは安直で勝手な理想像に過ぎなかった。

「どんな人に来てほしいか≠どんな人が来そうか」の誤解が確実に発生した。4月に実施を予定していた時点では認知度がそこまで高くなく「どんな人に来てほしいか≒どんな人が来そうか」だったかもしれないが、COVID-19禍で抑圧されていたイベント欲とSNSの波により、企画の表層的な部分だけが想像を超える規模で爆発的に拡がり、same galleryを知る既存コミュニティとは異なる価値観やリテラシーを持つクラスタにまで情報が届いた。その結果、運営側と鑑賞者側の、企画意図の理解度や期待される態度の不一致が発生し、今回のような大混乱が起きたという顛末ではないだろうか。

実際の現場では、待機するアート泥棒予定者たちから”整理券を配れ”、”順番に待機列をつくらせろ”といった声も挙がったという。泥棒が堂々と行列をつくるなんてちゃんちゃら可笑しい訳なので、並びたがった彼らは”アート無料配布会”に来た転売屋の類だと考えられる。一方で気にかかるのは、数時間前から待っていた唐草コーディネートの男性が報われたのかどうかだが、後日話題になった本人のブログを読むと、やんツーの「White Cube」を見事に獲得できたとある。皮肉なことに、転売屋には作品だと気づかれず盗まれなかったため、運よく手にできたのだという。白くて大きな立方体であるこの作品を運び出す際には、周囲の人が手伝ってくれたうえ、自宅まで車で送ってくれたそうだ。前者と違って後者は、圧倒的に当事者であり物語の主人公で、忘れられない思い出になったことだろう。本気の転売屋の類は、効率的にブツを獲得するというタスクをこなしに来た匿名の仕事人でしかない。

インディペンデントな企画展が見せた社会的な拡がりを目にして、2017年になかのひとよにより開催された「BLACK BOX(#ブラックボックス展)」を想起し、引き合いに出す人も少なくなかった。意図的な嘘と謎が市民を虜にし翻弄した同展には、3万人以上が詰めかけ、最終日には六本木の「ART&SCIENCE GALLERY LAB AXIOM」に6時間待ちの行列ができた。彼の活動目的は Anonism(アノニズム)、個人が自らの匿名的言動に意識を向けて生活することへの誘導で、無論コンセプトも規模も違う。筆者は”アート無罪”論者ではないが、いずれも想像以上のSNSでの拡散がトライブの違うクラスタを動かした結果、運営体制の耐久範囲を超え予期せぬ事態を引き起こした現象として、興味深く語られたのだろう。

アートは”時代に警鐘を鳴らすカナリア”、”社会をうつす鏡”と言われることもある。2020年の東京で起きた一連の出来事は、情報やツールに溢れすぎた環境で思考停止していた私たちに、”自分で考える”機会を提供したのではないだろうか。運営体制や準備不足に対する非難の声はやむを得ないかもしれないが、筆者は、今なお続く転売行為や価格のつけられ方、SNSでの個人やプロの論評の様子まで、すべて含めた実験的なインスタレーションとして、「盗めるアート展」を笑って語れるリテラシーを持っていたい。


Photo: TETSUTARO SAIJO
Text: REIKO ITABASHI