止まらないで描き続ける。自分を更新するために

水墨画みたいだけど、グラフィティっぽい。よく見るとディティールはマンガ……。初めて個展で原画を見たとき、とことんミックスされたスタイルに驚いた。在廊していたのは、ドレッドヘアがイカすドミニカ人のフレディ・カラスコ。彼はカナダのトロントから愛知県の豊橋を経て、半年前に東京での活動をスタートしたという。『AKIRA』や『ドラゴンボール』、そして往年の名作ゲーム『ジェットセットラジオ』に影響を受けたという彼のスタイルは、更新を続ける2020年代の東京のあり方を先取りしているのかもしれない。日本語メディアで初となるインタビュー。

「急にラグ(絨毯)がつくりたくなって、中国の工場にオーダーしたら、匂いがヒドいし仕上がりも雑で大失敗! 次はインドの業者に発注したんだ。絵柄をできるだけシンプルにして、誰でもわかるように丁寧に発注書をつくってね……」

フレディ・カラスコは、自身が仕事を辞めて暇だったという3年前を振り返りながら、こう語る。なんでラグ?と思わないでもないが、死ぬまでに一度はつくってみたかったというのだから仕方がない。それよりも、自身の失敗と、それを乗り越えるためのチャレンジを楽しそうに語る彼が印象的だった。

フレディは、トロント出身で現在神奈川・綱島在住のビジュアルアーティスト。NIKEやARMANIといったクライアントともコラボレーションを重ねている。もともと、トロントでアニメーションの専門学校に通い、アニメーションスタジオで絵コンテやキャラクターデザインを手がけていたという。ただ、彼にとって、アニメの仕事は楽しいものではなかった。

「トロントのアニメ産業は、カナダ政府によって支援されているんだ。単純にいえば、アメリカで生まれたアイデアを、カナダで制作すれば補助金がもらえる。結果、トロントでの仕事はアメリカからの下請けになってしまうことが多い。どうしても、自分の仕事とは思えなかった。それにアニメが嫌いなのは、完璧なラインを求められるところ。消しゴムツールやCommand-Zは使いたくない。できるだけ感覚的に今を捉えたいんだ」

日本ではあまり馴染みがないが、カナダのトロントはアニメやゲーム、コミックなど、サブカルチャーの制作拠点としても知られる。そんな街を出発点にフレディのキャリアが始まったことには合点がいく。ただ、そこから彼自身のオリジナルなスタイルが、どう発露していったのかが気になった。

「働いていたスタジオが、ある日倒産したんだ。職場に行ったら、オフィスに入れなかった。500人くらい従業員がいたのにね。当時は困ったけど、いま考えれば自由ってことだった。何でもやりたいことができる時間ができたんだ」

思わぬアクシデントによって、彼は新しいキャリアをスタートする。友人が開発しているマイクロソフトでARゲームのキャラクターデザインを手がけたり、自身の作品をラグにするなど、縦横無尽に活動を重ねていったのだ。そこで、彼の転機になったのは、iPadとInstagramだった。

自分を更新しながら、自分を示す

「iPadで絵を描くようになって、作業の速度が上がった。アプリを使えば、絵のプロセスを簡単に動画で公開できる。だから、自分のスタイルでキャラクターを毎日アップしようって決めたんだ。動画のBGMも毎日自分でつくった。最初は勝手にネットの音源を使ってたんだけど、著作権が引っかかって削除されちゃってね(笑)」

有言実行。彼は100日間、様々なキャラクターを描きアップしつづけた。すると、ある日こんなダイレクトメッセージが届いたのだという。「インスタ、イケてるね。未来人のキャラクターをデザインしてくれない?」。その依頼主はカートゥーン・ネットワーク。パワーパフガールズやアドベンチャータイムで知られる世界有数のアニメ専門チャンネルだ。「Craig of the Creek」という作品で、彼はキャラクターデザインを行うことになった。

「学校では何でもできることをポートフォリオで示せって言われたけど、それは間違いだった。アイデンティティが伝わらないと、来る仕事は誰でもできるものになってしまう。自分自身が描きたいものを描いていれば、それが欲しいクライアントがやってくる」

平行して彼の生活にも、変化があった。アニメーションの仕事を辞めて、自身の活動が自由になった結果、パートナーの実家がある豊橋に移住することを決めたのだ。

「なんで移住したのかは、実はあんまり覚えてない(笑)。ただ、家にいてデジタルのつながりのなかで仕事をこなすことに、ちょっと疲れていたのかもしれない。あと、トロントじゃない場所に住んでみるっていうことは、何か新しい体験になる気がした」

豊橋で慣れない農作業を手伝いながらも、彼はアーティストとしてのキャリアを着実に積み重ねていく。先述のカートゥーン・ネットワークの仕事に加えて、アメリカのストリートブランド、Carharttの京都支店オープンを祝ったコラボレーションなど、豊橋にいながら、インターネット経由でグローバルな仕事を手がける。さらに、スウェーデンの出版社から、自身初となるコミック単行本のオファーが舞い込んできた。

物語を自問自答でつくる

「スウェーデンの出版社も、インスタを見た担当者から連絡がきた。ストーリーは考えたことがなかったけど、やってみたかった。自分が見たかった世界を描きたかったんだよ。Netflixの『ブラックミラー』みたいなディストピアにはうんざりだった。セガサターン4が存在するようなオルタナティブな2000年を、反抗的なガキが自由に生きている世界を見てみたかったんだ」

とはいえ、ストーリーづくりが初めてというフレディは、宗教や覚醒といった”重め”のテーマを描く『GLEEM』の物語をいかにして構築していったのか。アニメーションや作品を構成する要素として、ストーリーの比重は決して軽いものではないことは、彼自身も認める。

「ストーリーは作品の全てを決める王様だからね。まず、自分の体験からストーリーをつくったよ。実はオレは教会によく行く家で育ったんだ。どんどん、スマホにメモしながら物語をつないでいった。ほぼ毎日自問自答してたね。『会話のなかでキャラクターを明らかにできてるか?』とか、『ストーリーのつながりはうまくいってるか?』って」

自分自身と対話をしながら、ストーリーを練り上げていくという手法は、ゼロからクリエィティブを生み出すマンガ家と、それをブラッシュアップする編集者を一人二役で行っているともいえる。彼の創作のスタイルに通底するのは、自分のいまが通過点に過ぎないことを意識しているということだろう。Instagramに日々の創作をアップすること、そしてラグやマンガのような新しい試みにも、果敢にチャレンジすること。彼の作品は、自分のその時点での限界を走り抜ける。

「大学にいたころは、InstagramじゃなくてTumblrを更新してた。できるだけ、毎日仕上げてアップする。ただの学生だったから、もちろん3ついいねがついたくらい。けど、それがうれしかった。友達にも同じことを勧めたけど、ずっと準備してるって、いつになっても始めなかった。そこが、自分と他のやつとの違いだと思う。オレにとって今の作品は、タイムスタンプと同じ。現在の状態でしかないし、次アップするものは、きっともっとよくなるって信じてるから」

セッションで絵は加速する

そんな彼がいま東京で行っているのは、インターネットの関係性を越えた、リアルのコミュニケーションだ。たまたまフレディのスケッチブックを見かけたファッションブランドMYOBのデザイナーに声を掛けられ、コラボレーションが始まったのだという。

「東京に来た理由は、インターネットだけじゃなくて、実際に人と話したかったからだね。そういう意味では今回のコラボレーションは最高だよ。アトリエで話しながら、その場で絵を描いたら目の前の服に自分の絵が貼られていく。セッションのように何かを生み出すのは、本当に楽しいんだ」

彼はInstagramで培った速さを、実際のリアルなコミュニケーションにぶつけているのかもしれない。そこには、常に自分のあり方を更新しようとする彼の姿勢が明確に表れている。残念ながらCOVID-19の影響で、トロントでのコミックフェスティバルへの渡航がなくなったというが、今の世界の状況もフレディは悲観していない。

「世界も変わっていくだろうね。ただ、家にいると、何が重要か考えるきっかけになるし、今何をしないといけないか考えられる。おおげさかもしれないけど、明日死ぬかもしれないわけだから、やりたいことを今やるしかない。暇すぎて自分の作品のラグをつくったときと、ちょっと似てるかもしれない。結局、オレは泳ぎつづけていくしかない。誰か偉い人が言ってたけど、何かを生み出すってことは、今を越えるってことだから」


Photo: VICTOR NOMOTO
Text: SHINYA YASHIRO