セシウムが決める「1秒」を歪ませるために。

伝説的オルタナバンド54-71、そしてVICE JAPANのローンチ……。メディアとイベントを横断しながら常にオリジナルをめざしてきた佐藤ビンゴは、いま「ナラティブ」に取り組もうとしている。VICE JAPANを辞めたいま、希代のクリエイターが考える「ローカルな体験」の価値、そして新しいうねりが生まれる瞬間とは? 54-71時代から佐藤と並走する盟友・川口賢太郎もインタビューに同席してくれた。

「ファンカデリックを知れた、みたいな」

――VICE JAPAN の立ち上げをされてたおふたりですが、メディアを始めたのはいつになるのでしょうか?

佐藤ビンゴ(以下、S):VICEの前に「contrarede(コントラリード)」という音楽レーベルをつくったんです。お世話になっていたレコード屋の店長がいて、そのレコード屋が時代もあって傾いた時に、それをどうにかしようとしたのがきっかけなんですけど。contraredeは音楽レーベルでありプロモーター。音楽だけでなく、映像とか、受注仕事もやっていました。いつのまにかcontraredeでも雑誌をやってみようということになって、ファッション雑誌「DUNE」をつくりました。それが初めてのメディアですね。編集長は元々バンドのお客さんでもあった変な人。歌舞伎町で喧嘩しそうになってるかと思えば、ソフィアコッポラの「ロスト・イン・トランスレーション」に出演してるみたいな……。なんで仲良くなったんだろう、わかんないなあ。

川口賢太郎(以下、K):佐藤は間口が広いんですよ。面白いと思った人に対する間口が。向こうが来るとまず拒否せず、変態を面白がる。

S:うーん、ちょっと違う気がします。一見外向きなようで、俺はそんなに外向きじゃない。川口は見た目が目立つから、怖がられることもある。だから川口に来る人は、すでにふるいにかけられているんです。そして僕の方に来るのは、ふるいにかけられたなかで、さらにこちらにも来ようとする人。だから、何かしらが旺盛な人なんだと思うんです。そんな人、絶対まず面白く見えますよね。

――そもそも佐藤さんと川口さんはSFC(慶応義塾大学 湘南藤沢キャンパス)で出会ったのですよね。そこからどうしてバンドを始めたのですか?

S:モテるかな、かっこいいじゃん、くらいのもんです。SFCにいたときに、スタジオというか部室みたいなものがあって、そこでふたりでバンドを始めました。川口と出会ったのはロック研究会の新歓なんですけど、初対面の印象は“悪人”でしたね。悪そうでいかついし、髪はめちゃくちゃ長いワンレンで、ビールの栓抜きがあるのにわざわざ歯で空けてて……。ちょっと触れない方がいいのかなっていうくらいインパクトがあった。だけど、同じ場にいることが多くて話すようになっていきました。

その頃、自分はピアノをやっていたのもあって、プログレッシブロックとか、ピアノに関連したものを聴いていたんです。詳しかった川口は「いやいや音楽はそんだけじゃねえ」って、色々教えてくれました。しかもストレートに教えないんですよ。音だけ聴かせて「知ってる?」「知らない」「ふーん、教えない」みたいな。ブラックミュージックとかヒップホップとかファンクとか……。挙句のはてに、アングラパンクバンドのブラックフラッグ。あとファンクバンドのファンカデリックは、いまだに教えてもらえてよかったと思う。音がきったないんですよ(笑)。だからこそ、「あーあ」って口から漏れちゃうような時に聞くとよい。大好きですね。まあそういう出会いで、「音楽ってきたなくてもいいんだ」「それなら自分でも、できちゃうのかなあ」と思ったんですね。気づいたら20年弱は、音楽をやっています。

――バンド活動と、音楽レーベル「contrarede」の設立やVICE Japanの立ち上げ、これからの活動はどういう風につながっているのですか?

S:まず、人と違わないといかん、というのがありましたね。バンド活動では、かっこよく言うと“オリジナル”を求めてた。オリジナルなら日本であろうが海外であろうが通用すると思ってたので。外人って肉体的に瞬発力もあるし、ひとつの曲にいっぱい音を詰め込める。でも僕らはそんなのできないから違うことをしようと、一般的なロックからしたら「音が少ない」音楽をつくっていたんです。そしたら、とあるお客さんがライブが終わったあとに「あのバンドはスカコアだぜ」って言ってて(笑)。これはなんだかわからんけど“伝わってる”な、と思いましたね。

これがオリジナルだろうというコンセプトを考えて、ディレクションを経て、実行して、アウトプット、誰かの言葉に表出させる。そうやって一つのコミュニケーションが成立する。しかも、ライブの場合は、そこでお金も発生していますよね。つまるところ、音楽活動は「人と話す」とか「ビジネスをする」とか、そういった対人の社会的な活動に通じるところがあるはずなんです。外部やチーム内のコミュニケーションでも同じような気づきがありましたね。

――そんな中でVICEをやることにしたのには、何か目的があったのですか?

S:ビジネスという枠の中でお金を稼ぎながら、何かしらパンチのあることができたらいいなと思っていました。日本のVICEが最初に紙の雑誌を出し始めた時代は関わっていないのですが、タイミングとしては、雑誌が1回たたまれてから、海外でオンラインに移行しつつあった時期ですね。本国がYouTubeとパートナー契約を結んで、それがきっかけでVICE Japanを会社化した。そのときに、我々が関わるようになりました。

やっていて大変だったのが、一定したエディトリアルを担保していくこと。本国のコンテンツもあるなかで、一貫性をつくるのが難しかった。あとは、拡散しなきゃいけないっていうのものとかも好きじゃない(笑)。受け手も、ウェブの情報はより刹那的だと思ってしまっているから、こちらもそれに向けてやらなきゃいけないわけですからね。

ただ、バズらせないとPVが稼げないので企業の広告費に頼るメディアとしては、どうにも避けられないですよね。驚いたのが、VICEのチャンネルを立ち上げた時に20本くらいつくった動画を、YouTubeの運営が拡散したら、みるみる再生数が伸びたときのこと。一瞬にして10万、20万になりました。我々のチャンネルは立ち上がったばかりで、内容も好みが分かれるようなテーマなのに……。大きな力が働けば強制的にでも多くの人に見せていくことができてしまう。それがわかりました。もちろん、その先に面白いかどうかという分水嶺はありますけど。

——おふたりはVICEの方向性をどう決められていたのでしょうか?

K:デジタルメディアってタダじゃないですか。あるとき、「これはテロだな」って思ったんですよ。VICEはかなり文章にこだわっていたから、滞在時間が平均3分くらい。他のメディアより長かったんです。人生の中で人にとっての3分って、すごい長いじゃないですか。買って読んでもらっているコンテンツであれば、そこに読者の了解があるけど、大半のデジタルメディアは無意識のうちにリンクに吸い寄せられてしまう。いってしまえば、読者の寿命を削って商売しているようなものですよ。だからこそ、自分たちは意義深いことがやりたいよねと、いつも話していました。

S:個人的な話すぎるかもしれないけれど、大切にしていたのは大学のころ「川口からファンカデリックを知れた」みたいな意義深さですね。大げさでなくても、情報から想像して、行動に繋がっていくようなコンテンツをつくりたかったんです。

「“ナラティブ”という概念に突っ込んでいく」

K:結局、それって記事においてどう体験をつくるかってことですよね。情報と体験の断絶が、メディアには必ずある。SNSも色々あるけど、結局情報の追体験にしかなってない。「そういうのって、どうなんだろう?」と常に自問自答していました。

S:音楽の話でいうと、多くの人数に聴かせるために電気で増幅させる、スピーカーが大きくなる、CDになる、ストリーミングで誰でも聴けるようになる……。一言でいうと、どんどん受け手が大きくなってきているわけです。そうなると、CDや音源など一番多くの人に聴かれているものと近い音を、ライブでも提供せざるをえないことが多い。体験が情報によって変えられてしまうんですね。だから、「急にライブで、ギターソロとかが来るとわけがわからない」みたいなことを言うお客さんが生まれてしまう。でも、もしかたら実はそこの違いが体験のエキサイティングな所なわけですよね。

K:ライブ会場でも、お客さんが頭の中でCDの音源を再生しちゃうんですよね。そういう意識の部分は、テキストで伝えて変えていかなきゃいけないのかもしれないとは思っています。ライブの前に文章で思いを伝えて、情報を体験に還元するというか……。

S:演者の視点からすると、自分やメンバーが弾いている音を聴くイヤーモニターがあるから、ステージ上のアンプから出る音って逆に迷惑なんですよ。だから舞台の上は意外と静かで「スピーカーから向こうのフロアだけが爆音」ということが起きている。そういうのって、なんか腑に落ちないんですよね。いろんなエキサイティングなシーンを体で感じたことがあるから、耳だけで聴いて演奏するのがウソくさいなって。ただ、その腑に落ちないって思えることも体験だし、「これはいい」と思えるのも体験であることは間違いない。

——体験と情報の関係は、おふたりが今後取り組まれる「ナラティブ」というキーワードとつながっていく気がします。

K:本来は選択肢が並んでて、初めて自分の道を決められるはず。だから、どれだけひとつの事象に対して、情報を提示されるかですよね。情報イコール体験になることはないと思うんですよ。だけどたくさんの情報があるなかから何かひとつを選ぶことが、みんなの習慣になったほうが、人生面白いよなって。

音楽ってテンポで全てが決まるじゃないですか。時間を定義しているのは原子時計に使われているセシウムです。セシウムが崩壊する周期という絶対に変わらない時間にあらがうことのできる武器が音楽だと思うんですよ。日常の時間を定義している絶対的な何かを超えていくことが、音楽が象徴する体験の価値なんだと信じています。

メディアをやっていて思ったのは、テキストでも同じ体験ができるんじゃないか、みたいなことですね。究極的にはそれが知りたくて“ナラティブ”という概念に最近首を突っ込んでいっているのかなと。ある事象についてロジカルに話すとする。でも俺はロジックが通用しなくなる限界が知りたいんです。音楽だと自分が気持ちいいか気持ちよくないかという境目が明確にあるけど、それが何かは一切わからなくて、ただ聴いた感覚、弾いた感覚だけがそこにある。要素はあっても全体って部分の総和じゃなかったりもするじゃないですか。

S:ビートじゃない音楽とか、リズムがない音楽にもサイクルがある。同じ話かもしれないですね。

K:良い悪いじゃなくて、好き嫌いをもっとみんなが言って、ひっちゃかめっちゃかでいてほしい。そんな全ての事象を表現するのが“ナラティブ”。だから、それを平準化しないで社会の文脈に置くっていうのは、最初の頃のVICEと、自分たちがやろうとしている“ナラティブ”の共通点かもしれないですよね。面白いおっさんがいた、取材にいこう。それだけでいい。そうしてその人は社会で何らかの立場を得る。どんなことでも社会のなかの文脈に置けるはずなんです。

「一極に集中しても、ムーブメントは起きない」

——VICEを離れてスタジオをつくるそうですね。これからやろうとしていることについて教えてください。

K:ちょうどもう歳なので、お互い身内に病人とかが出てきたりしています。食べ物とか生命とか、そういうけったいなことを意識せざるをえない状況になってきた。東京に住んでいることがそもそもいいのか?ということを考えてたら、まずカルチャーの流通網って日本にあんまりないよねって話になったんです。

僕らの歳ってレコード世代じゃないですか。カミさんにそんなの棄てちまえって言われるものを沢山抱えているわけですよ。だから、地方にみんなが自分のレコードを置いておく、ウェアハウスとかつくったら面白いんじゃないかって。東京に人が集まりすぎで面白くないけど、そのためにはまず地方のやつが東京に行かなくても十分だと思わないと。それを考えると、地方でカルチャーを発信する場所みたいなものをつくる価値はあるなと。

S:一極にやたら集中しても、ムーブメントは起きない。今はネットがあるにしろ、東京だけに資産がまとまってしまっている。触れて見られるものは、わざわざ東京に来なくても地方にあればいいのではと思いました。集まったメンバーには音楽系や映像系もいたので、拠点のかたちは自然に“スタジオ”になりましたね。

K:もちろん入ってくる地方の情報っていうのは結局あくまでも情報です。それは体験でも、ナラティブでもない。ただ地方にいっぱい拠点があって、情報を発信する人がそこにいるのが本来あるべき姿なんじゃないのかなと思います。例えばVICEのころは動画撮影がある地方取材だと、100万くらいはかかっちゃいましたから。それなら、地方に動画の録れる人がいて、情報を出していくっていうネットワークができた方がいいんじゃないかと。VICEで培ったノウハウを生かして、拠点をどんどん増やしていくきっかけをつくる。我々の持ち物じゃなくてもいいんですよ。

S:VICEみたいな映像をつくるときに、ある程度テクニカルな部分でここまでっていうスタンダードをつくるのが、映像だったらできるんじゃないかと思っているんです。結果としてスタジオが日本の映像クオリティの底上げにつながっていくといいなと。

K:プレゼンテーションできる映像っていうのは、案外簡単にできちゃうんです。VICEに関わりはじめたときに、本国からダメ出しが何度も来ました。テクニカルな話を聞きたくてやりとりをしているのに、返ってくる答えは観念的なことばかり。よくわからなかったので、素材がどう配置されてるかをリバースエンジニアリングしました。カットごとに全部Excelに落としたこんだんです。そうしたら案の定文句を言われなくなって。これはセンスとかじゃなくて技術の話だから、他人にも教えることは可能だとも気づきました。

S:川口のその様子を見ていて、まさに“編集”だと思いました。音楽の世界でも言えるような、時間にのっとった表現だなって。

——「ナラティブ」とお二人が呼んでいるのは、音楽も映像も含めた制作の拠点みたいなものを全国につくって、日本全体のクリエイティブの底上げをはかるプロジェクトということでしょうか?

S:ちょっと伝わるかわからないけど、構造的にはオルタナティブな自分たちの感覚で塗りつくされた「自遊人」みたいなものなのかな……。発信をしつつ、実際に体験ができるものをつくる、みたいな。発信する母体があって、そこに音楽なんかも詰まってる。スタジオがそういう場所でもいいだろうし。フィジカルな場所もつくりながら広げていって、時にはプロデュースをしたり。

——場所としての“メディア”は持たずにやるんですか?

S:悩ましいところですね。個人的には受け手のことを考えた時に、さすがにないと成立しないだろうなあと思ったりもする。とはいえ100パーセントないといけないって言う気もない。まあ電話帳的なプラットフォームはあったほうがいいとは思いますね。イギリスのメディア「ヘラルド」みたいに、出資者の基準で汚されず、メディア自体の信条が守られるような形態・文化っていうのが日本にはないから、そういうエッセンスもあったらいいのかなって。それを構築するのに、いきなりつくってもできるわけじゃないから、活動をしていくなかで派生した形で、メディアをつくるのも意味があるのではないかと。

K:メディアって言っちゃうと、周りの頭が固まっちゃう。メディアのビジネスモデルって明確にあるじゃないですか。でもこの話を従来のメディアっていうモデルでできるのか?って思います。もしかたら、ほぼメディアなんだけど弊社のウェブサイトって言うかもしれない。

S:とりあえずチームの名称は「ナラティブ」って言ってますけど、変わるかもしれない。

K:斜に構えて54-71とかVICEとかやったりしているから、今回は「ナラティブ」くらいド直球でもいいんじゃないかって。

「みんなの人生や生命を取り戻したい」

——勝算はどれくらいあるのでしょうか? いや、“いいものがわからない”人が増えている中で、どんな軸を持って戦っていくのかなという意味です。

K:必然性ですよね。必然性をどれだけ大事に、適した形でやっていくか。例えば自分が無農薬無肥料の米をつくっているからと言って、それを全員に食えとは思わない。ただそれを欲している人は絶対にいるから、そこのマッチングをどれだけうまくできるか。それの積み重ねだと思う。5人でもいいんですよ、その5人がその米をずっと食う。それの手助けができればいいのかなと。それはひとつの情報として並んでいて、誰もがアクセスできる。そこから10人になる場合も100人になる場合もある。

やっぱり抽象化されてない話が、聞きたいですよ。VICEをやっていても思ったけど、一般論ってなにも得るものないし。生き死にに関わる情報にアクセスできないんですよね、今。情報って結構生命を左右するじゃないですか。それでいくと一般論でも抽象化された話でもエビデンスでもなく、人の想いとかになってくる。誰が何考えているかなんて、本当は1億人インタビューしないとわからない。

S:最近、病院に行くことがあったんですけど、だいたい医者って西洋医療の枠内で患者を定義しますよね。でも人って全部違うし、未知な部分もある。自分がもっている価値観の範囲内で定義づけをしている認識が医者の方にもない。こっちには自分を構成しているそれなりのストーリーとかナラティブを持っているわけなのに。

その人が持っているナラティブがその人にとって重要なんだって、互いに理解しようとするのが一般的になればいいなって思うんです。好きとか嫌いの理由を紐解いていっても、それが意外と公的な場所になってくればくるほど通用しない。でも通用しないとその人の持っている、何かしらの価値観が世知辛いものになってしまう。本当は、誰もが世知辛くないものをいっぱい持っているはずなのに。もっと一人ひとりの声を聞いて、その違いを意識するためにはどうしたらいいのかを考えたいんですよ。

K:それで我々はクオリティという所に還ってきたんですよ。幻想かもしれないですけど、人にモノを伝えるコンテンツづくりのクオリティの意義は絶対どこかにあるよね、と。そもそも自分たちはそう思ってる人間で、それしかできない。ユーチューバーを見ても日本は独自の進化を遂げてるけど、あれを海外にプレゼンテーションできるの?って思っちゃう。俺たちは、彼らに「教える」ことができます。もちろん、自分たちの物差しをクオリティと呼ぶのかグローバルのルールと呼ぶのかはわからないですけどね。結局、誰かの「マーケティング」的な意図で攻めてこられるのが嫌いなんです。だから、それを上回る量の選ぶ素材を並べたい。みんなの人生とか生命を取り戻したいんですよ。


Photo: VICTOR NOMOTO
Text: RIO HOMMA