2011年3月11日の東日本大震災から今年で10年が経った。”地域の内側からの復興と新たな循環を生み出す”という目的で、2017年から宮城県石巻市・牡鹿半島を中心に開催されてきた、アート・音楽・食による総合祭『Reborn-Art Festival』。2019年には国内外から延べ44万人以上が来場し、地域の復興や振興に繋がる様々な循環を生み出すイベントとなった。

3回目となる今年は、テーマに 『利他と流動性』 が掲げられ、2021年夏と2022年春、会期を2つの季節に分け開催される予定だ。それに先駆け、石巻市では一部の作品の展示と、2月上旬からオンラインでのプレイベント『Reborn-Art ONLINE』が開催されている。今回はあえて本開催に先駆け現地を訪れ、前回の開催時から継続的に展示されているいくつかの作品と、会場となる石巻の市街地エリアの様子をレポートする。

『Reborn-Art Festival 2021-22 — 利他と流動性 — 』
[会期]
オンライン:2021年1月6日(水)〜〈3月26日(金)19:00〜、27日(土)16:00〜配信予定
夏:2021年8月11日(水・祝)~2021年9月26日(日)
春:2022年4月23日(土)~2022年6月5日(日)
※会期中メンテナンス日(休祭日)あり。

[メイン会場]
夏(2021年):石巻市中心市街地 牡鹿半島(桃浦、荻浜、小積浜、鮎川、and more...)
春(2022年): 石巻地域

[主催]
Reborn-Art Festival 実行委員会/一般社団法人APバンク

[助成]
文化庁 国際文化芸術発信拠点形成事業

#INSIGHTS OF EVELA
1:数年に一度だけ盛り上がる単発催事で終わらせるのではなく、イベントで生まれた作品をパブリックアートとして展示し続けたり、会場の一部としてつくった展示スペースを常設の交流拠点として運営し続けることで、イベント終了後も地域の愛着や街への参加意識を集め、クリエイターと住民が一丸となった大型イベントを成功させている。

2:イベントをきっかけに生まれた新たな文化・交流が地域に定着すれば、本質的で持続可能な街興しとなり、地方の過疎化に対するカンフル剤となる可能性もある。

3:世界中が震災での出来事や石巻を思い起こすきっかけを柔和になす、アートと文化の力を信じた挑戦とも言えるプロジェクト。

Reborn-Art Festivalの継続展示作品を巡る①「room キンカザン」

まずはじめに訪れたのは、初年度から会場のひとつとなっている「島周の宿さか井」だ。ここに展示されている、ある作品を観るのが目当てだ。


作品の鑑賞を希望する旨を受付で伝えると、この宿の一室であろう鍵を渡された。ここに作品があると言う。まるで合言葉を知っている人だけが案内される、秘密の部屋に通されるかのような演出に期待感が膨らむ。


向かったのは、作品が展示されているという206号室。詩人・吉増剛造によって『room キンカザン』と名付けられた場所だ。

吉増剛造|現代日本を代表する先鋭的な詩人であり、詩の朗読パフォーマンスの先駆者としても知られている。


『room キンカザン』という作品は、吉増剛造が詩を創造した部屋そのもののことだった。ここでは靴をぬいで部屋に入り、カーテンを開けたり冷蔵庫を開けたりと、部屋の中を自由に鑑賞できる。2月12日に行われたオンラインイベントでは、この場所から吉増が創作時のエピソードや作品を解説する様子がライブ配信された


窓の外には、作品名にもなっている金華山(キンカザン)が見える。そしてその窓ガラスにはポスカで詩が”描”かれていた。これは長篇詩『巨魚(isana)よ、巨魚(isana)』という作品の創作がこの窓ガラス上で行われた軌跡そのものだ。


カーテン裏に潜んでいた望遠鏡で望む金華山。吉増は何を想いこの窓の外を眺めたのだろうか。「巨魚(isana)」とは古い日本語で鯨のことらしい。この周辺の鮎川地区には、吉増も訪れたことがあるという捕鯨船の基地があるとのこと。吉増は金華山とそれを囲む広大な海を眺めながら、そこを周遊する雄大な鯨の姿を心に見たのかもしれない。


部屋中央のちゃぶ台に置いてあった「現代詩手帖」2020年1月号。そこにはこの部屋でつくられたとされる作品が掲載されていた。細部にまでストイックな創造を見て取れる。


畳の上には、Reborn-Art Festival2019にも参加していた音楽家・青葉市子の「アダンの風」が置かれており、CDプレイヤーにセットして聴くことができる。2月13日の配信イベントでは、青葉市子によるライブ配信も行われた

Reborn-Art Festivalの継続展示作品を巡る②「白い道」

ホテルを出て、少し車を走らせれば島袋道浩の『白い道』という作品に出会うことができる。

島袋道浩|芸術家・美術家。1990年代初頭より国内外の多くの場所を旅しながら、人間の生き方や新しいコミュニケーションのあり方に関するパフォーマンスやインスタレーション、ビデオ作品を制作している。


作品名の通り、白い石が敷き詰められた道が続いている。


道しるべの先に続くのは、海だ。この作品は、この道を歩いた人々が牡鹿半島の自然を再発見することを促すインスタレーションなのだという。


白い道の終点、そこには吉増剛造の『room キンカザン』の窓からも見えた、金華山が眼前にそびえていた。金華山は牡鹿半島の突端にある島で、ここには天平年代に創建された金華山黄金山神社があるため、金運のパワースポットとして有名だ。「3年続けてお詣りすれば、金に不自由はさせまい」という神からの御言が伝わっているそうだ。

Reborn-Art Festivalの継続展示作品を巡る③「White Deer (Oshika)」

次の作品に向かう道中には、東日本大震災による津波の浸水区域を示す看板が点在していた。山道にも関わらずここまで浸水したことを考えると、本当に凄まじい災害であったことは想像に容易い。


展示会場を目指すが、GPSを頼りに辿り着いた場所は海産物加工工場のある小さな港で、いたるところにブイが積み上げられており、「本当にここに作品があるのだろうか?」と不安になってしまうほど人の気配もない。あっけらかんとした空と海だけが広がっていた。


道に迷っていると、幸運にも偶然出会った地元の人が「作品はあっちだよ」と優しく教えてくれた。もし『White Deer (Oshika)』をこれから実際に観に行こうとされる読者の方がいたら、本作品はとてもわかりにくい場所にあるので、勇気を出してブイの間を進み、港と作品に繋がる細い山道の間にある案内看板を見つけ出して欲しい。


細い山道をしばらく歩いていけばいよいよ、Reborn-Art Festivalのシンボルとも言える、名和晃平の『White Deer (Oshika)』と出会うことができる。

名和晃平|彫刻家。感覚に接続するインターフェイスとして、彫刻の「表皮」に着目し、セルという概念を機軸として、2002年に情報化時代を象徴する「PixCell」を発表。


ここは牡鹿半島・荻浜エリアにある、静かな入江。”白い貝殻のビーチ”。開けた視界に、神聖な雰囲気を纏う、しなやかでたくましい鹿の彫刻。古来より「神使」や「神獣」と呼ばれ、信仰を支えるイメージとしてさまざまな場面で登場し親しまれてきた鹿をモチーフにした作品だ。


近年、日本では鹿が増え続けており、人里に時々現れる鹿は、「迷い鹿」と呼ばれているそうだ。 この『White Deer (Oshika)』はインターネット上に現れた『迷い鹿』(鹿の剥製)を取り寄せ、3Dスキャンして得たデータを元に制作されたものだという。天を仰ぐその姿は、未来に向かって私たちを導いているようにも、故郷をなつかしく振り返っているようにも見えた。Reborn-Art Festivalの常設アート作品はどれも被災地復興のシンボルとなっている。この日も開催期間中でないにも関わらず、ちらほらと地元ナンバーの車で見に来ている人もいた。この『White Deer (Oshika)』は、もしかしたらこの街や人の守り神のような存在なのかもしれない。


『White Deer (Oshika)』のある”白い貝殻ビーチ”のそばには、震災の時のものと思われる船が打ち上げられたまま残っていた。

Reborn-Art Festivalと関連した石巻の常設スペースを巡る①「ART DRUG CENTER」
ここからは市街地エリアに目を向ける。Reborn-Art Festivalから派生して生まれた常設スペースへ伺い、石巻に住み込んで地域密着しながら今年のReborn-Art Festivalへ向け構想を巡らすクリエイターたちの声を聞いた。最初に訪れた場所は「ART DRUG CENTER」だ。


「守長商店」というファンシーな看板が掲げられており、普段は八百屋生花店でもあるが、実はこの扉から入ると中はアートスペース「ART DRUG CENTER」となっている。


入ってすぐの階段を上っていくと、小さなギャラリースペースが。夏になれば前回のReborn-Art Festivalと同様にここも会場として利用されるかもしれないが、現在はオープンスタジオとして実験的で自由な作品が展示されている。


そのオープンスタジオの先には、なんと和室が。快く話を聞かせてくださったのは、ART DRUG CENTERの企画・運営者の1人である有馬かおるさんだった。氏は初年度のReborn-Art Festivalの際に市街地エリアの企画を手がけたアーティストであり、ここ守長商店の守さん一家と共にART DRUG CENTERをディレクションしている。一緒にこたつに入っているお2人もART DRUG CENTERに関わっている地元のアーティストだ。


有馬さんは名古屋や東京でも活躍してきたアーティストだが、Reborn-Art Festival2017への出展がきっかけで石巻に魅力を感じ、自ら商店街に恒常的なアートスポットをつくり移住することにしたのだという。石巻で作品をつくり、地元との信頼関係を築くにはそこで実際に生活する覚悟が必要だったと氏は語る。


ART DRUG CENTERの1Fでは、今年から「美術研究所artrφn」という新たな活動も始まるとのことで楽しみだ。また現在はオリジナルのアパレルも販売していて、この場所が石巻の新たなアート&カルチャーの発信拠点となっているように見えた。こういった、イベントだけで終わらず、地域に密着して文化を築こうとする地道な努力は、過疎化の進む地方にIターンする若者を増やすきっかけになり得るかもしれない。

Reborn-Art Festivalと関連した石巻の常設スペースを巡る②「石巻のキワマリ荘」
アーティストのSoftRibさんに案内してもらい、別の関連スペースにも連れて行ってもらうことに。そこへ向かって歩く商店街の街並みにも、壁に津波の水位が記されている。10年が経ちすっかり日常を取り戻しているように思えるが、街のあらゆる場所にある手書きの記録が印象に残る。誰だって忘れられないし、忘れられたくないし、忘れてはいけない、そんな感じだ。


SoftRibさんに連れてきてもらったのは「石巻のキワマリ荘」。この「キワマリ荘」は住んでいたアパートを又貸しのギャラリーとして機能させるプロジェクトで、1996年に先ほどART DRUG CENTERで出会った有馬かおるさんが設立したもの。愛知(犬山)や水戸など、全国にいくつかのキワマリ荘がある。ここも前回のReborn-Art Festivalで会場となっていたアートスペースのひとつだ。


「石巻のキワマリ荘」は、複数の若手アーティストたちが運営している。今関わっているのは、富松篤(代表)さん、ミシオさん、鹿野颯斗(管理)さん、 SoftRibさん、ちばふみ枝さんの5名だそうだ。


2階建ての住宅をリノベーションしており、1階は「GALVANIZE gallery」、2階には「mado-beya」「おやすみ帝国」と、複数のスペースが集まったギャラリーコンプレックスになっている。頭をぶつけそうになりながら階段をのぼったり降りたり、個性的な空間それぞれが楽しい。玄関で靴を脱いで入る感じは、地元の誰かの家に遊びに来たようでもある。


イベント期間外であってもそれぞれのギャラリーで企画展が行われている。幅広い年齢層で地元の方も展示を見に来ており、アーティストたちと意見交換しながら交流を深めていた。


スペースのひとつ「mado-beya」は、石巻生まれのアーティスト・ちばふみ枝さんが運営している。この日は、鈴木基真、團良子、ちばふみ枝 3人展「遠く、手を振り返す」展が開かれていた。こうして、Reborn-Art Festivalの期間中でなくても自主的に創作や発表が行われるようになり、それをきっかけに石巻以外の土地から移り住んだ人もいて、アートで街に好循環が生み出されている。


キワマリ荘の運営に携わるアーティストの一人、ミシオさん。去年までは日常そのままを美術に取り入れる試みとして、このギャラリースペースに住み込みながら創作活動をし、その様子も作品として見せていたとのこと。そんな彼に、作家として東日本大震災から受けた影響はあるか尋ねた。

「自分自身には震災のリアリティはないんですよ。当時中学1年生で京都にいたし、本当にテレビ画面の中だけでしか知らないことだったから、震災をテーマに何かを作ろうというモチベーションはあまり無いです。ただ、ここに人が住んでいて、それぞれに生活を送っているということはすごく大事なことで、尊重したいことです(ミシオ)」


ミシオさんはこう続ける「石巻のキワマリ荘は、Reborn-Art Festivalを一過性のイベントとして終わらないようにする、美術の火種を絶やさないようにするためにできた場だと思います。Reborn-Art Festivalはもともとイベント立ち上げ時から10年かけて終わるというビジョンがあったんですが、お祭りをしただけでは終わったあと地域に何も残らないよねということで生まれたのがこのキワマリ荘です。だから、むしろ自分たちの手の届く範囲で制作など"やれることをやり続けていくこと"が一番大事かなと思っています。石巻はいい街ですし、Reborn-Art Festivalがきっかけで各所からクリエイターが集まってきて街の魅力を知って、確実に街興しに繋がっています。美術業界の中でも特に面白い人たちが集まっていると感じます(ミシオ)」

石巻の街を歩きReborn-Art Festivalが地域にもたらした影響を考える。
「石巻のキワマリ荘」の近くには復興バーなるお店もできている。天井まで浸水した店を数人の仲間がDIYで改装し、2011年7月にオープンしたものだ。10人も座れば満席になる小さな店だが、石巻の人たちと世界中から訪れた人たちが熱い会話を交わす場で、壁にはマスターの絵が一面に描かれ、ここにしかない交流が生まれている。誰もが店主になれる「1日マスター制度」もあり、キワマリ荘に関わるアーティストがマスターとなり、地元の方々との交流を行うこともあるという。


前回のReborn-Art Festival2019では、58日間の会期で44万人を超える人々が石巻を訪れ、街に新たな人の流れやアート&カルチャーのシーンをつくり出した。商店街に生まれたアートスペースや飲食店には、芸術祭で撮影した写真が貼られていたり、その時の様子を語り継いでくれる地元の人がいる。商店街の肉屋「佐藤ミート」のウィンドウには、Reborn-Art Festival2017の出展アーティスト、JRが手がけたフォトブースで撮影された愛おしいポートレートが飾られていた。

JR|パリとNYを拠点に活動するフランスの写真家兼ストリートアーティスト。


「石巻のキワマリ荘」は、背面から見るとこのような古い家屋だ。大家さんは、この隣にある石巻で最も古い電気屋「パナックけいてい」を営む佐藤さんという方で、Reborn-Art Festivalをきっかけに、イベント期間外でも街興しのためキワマリ荘にこの物件を貸し出しているそうだ。キワマリ荘主催者である有馬かおるさんは「佐藤さんは趣味の達人みたいな方で、石巻にとっても大切な人です。この場所に人が住み直せるようになったのは、最初のReborn-Art Festival2017の直前でした。6年近く復興に時間がかかってしまうって想像できないですよね。佐藤さんには、今度ぜひ会ってみてください」と佐藤さんの人物像を語ってくれた。実は、Reborn-Art Festivalを2017年に初めて開催するにあたり、キュレーターが商店街に説明会を開いた際、真っ先に協力を申し出たのが佐藤さんだった。キワマリ荘の物件も率先して貸し出しを許諾し、街全体の協力をリードしてくれた存在なのだそうだ。


パナックけいてい」へ実際に顔を出すことにした。電気屋なのに店内には趣味の雑貨が溢れ、昼間から仲間と乾杯しながら話す佐藤さんご本人がいらっしゃり、お話を伺うことができた。積極的に街興しに関わる佐藤さんだが、「復興のために国から与えられた支援金の使い方が正しかったのか正直分からないんだよ。年度で区切られた国の支援金は、予算を使い切る期限も限られているので、神戸の震災復興に携わった人たちを呼んで勉強会を開いたりもしたけど時間切れで。結局はマンションや団地などハコモノを建てるだけになってしまったかなって(佐藤)」と悩みも語って下さった。


パナックけいていの裏には被災して泥をかぶったレコードが沢山置いてあった。音楽好きの佐藤さんは夜な夜な人を集めてレコードを流す「アナログビートルナイト」というイベントも自主的に開催しているそうだ。佐藤さんは「この辺の地域はもう過疎化しはじめていて、夜に大きな音を出しても怒られないんだ(笑)」と、冗談交じりに語った。息子や孫は東京へ行ってしまったそうで、帰り際にどこか寂しそうな笑顔で「また今度リボーンやるから必ず来てね」と何度も言ってくれたことが印象に残った。


レコードは洗えばまた聴けるし、街は元気を取り戻していける。Reborn-Art Festivalは、数年に1度、数カ月の間だけ開催される芸術祭だが、街に常設作品として復興の希望を感じられるシンボルを築き、また交流や創作の拠点としてのアートスペースをつくり出すきっかけとなった。そして文化や人のつながりは数年をかけて街に根付き、やっと育ち始めている。それは、芸術祭を打ち上げ花火で終わらせないように動いた、地元を愛する人たちが悩みながら積み重ねてきた日々の結果だ。

3.11から10年。東京にいるととてつもなく長い年月が経ったように思えるが、被災地以外から見た復興の時間軸は、地元の人の体感よりもずっと進んでしまっているようだ。石巻の人にとってはまだ復興は始まったばかりで、終わりがある訳でもない。復興というモチベーションで街を元気にしていこうという気運が鮮度を失ってしまうことに不安を感じながらも、前を向いて行動している人たちがいて、この街にゆっくりとあたたかい血液を注いでいる。私にとってこんなにまた来たいと思えた街はない。Reborn-Art Festival 2021開催予定である今年の8月が今から楽しみだ。


Photo: TETSUTARO SAIJO
Text: REIKO ITABASHI