ここにしかない体験と「人を人として扱う」ことの意味
COVID-19の感染拡大により世界のあり方は大きく変わった。緊急事態宣言の発令とともに幕を開けた2021年、どのようなイベントが未来を切り開き、ムーブメントを巻き起こしていくのだろうか。コロナ禍における新しいイベントの形を模索するアフロマンス、Fes 2.0という概念でこれまでにないイベントづくりを目指してきたMUJINTO cinema CAMP主催の三宅恭平、そしてEVELA編集部で様々なアプローチのイベントを取材してきた板橋令子が、2021年について語る。
アフロマンス/AFROMANCE|鹿児島生まれ、京都大学建築学科卒。クリエイティブカンパニー「Afro&Co.」の代表を務める。泡まみれになって踊る「泡パ」や、街中の道路をウォータースライダーにするイベント「Slide the City」、120万枚の花びらに埋もれる「SAKURA CHILL BAR by 佐賀」など、皆が笑顔になれる体験型のイベントを企画する。〈Instagram〉
三宅恭平/KYOHEI MIYAKE|香川県でミニシアターの再建に従事したのち、東京へ。完全DIYのシネマキャンプフェス「MUJINTO cinema CAMP」、気軽に映画を楽しめるイベント「NEW CINEMA DINING」などを企画。2016年、株式会社コンストラクトフィルムワークスを設立し、代表取締役に就任。池尻大橋にある「Whims coffee and bar」を運営している。〈Instagram〉
板橋令子/REIKO ITABASHI|1992年、東京生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業。東京で文化・交流を生み出す場づくりをしたいと考え、総合ディベロッパーにてイベントや文化施設企画に携わっている。またアート&カルチャーへの愛をアウトプットするライフワークとして、EVELAのライター・キュレーターやInterFM897 「100byRADIO -ARTIST NEEDS-」のアシスタントMCを務めている。〈Instagram〉
重い空気と新しい楽しい
——2020年は、多くのイベントが安全性を考慮して中止されることが多かった1年でした。一方で3DのバーチャルミュージアムがWEB上で公開されたり、ウェビナーが一般化したり、オンラインでのイベントの可能性が模索されてきました。三宅さん、アフロマンスさんは、去年どんな活動をされていたのでしょうか?
三宅恭平(以下、M):去年はリアルなイベントが、全くできませんでした。ぼくが2015年にローンチした無人島で映画や音楽を楽しむイベント「MUJINTO cinema CAMP」も、準備はしていましたが実施はかないませんでした。ただ、飲食店として池尻大橋で「ウィムス」というバーを運営しているので、第一回目の緊急事態宣言が出たときに、「オンライン100人飲み会」という企画をやりました。具体的には、オンライン上でアバターを通じて会話できる「Remo」というウェブサービスをつかって、6つのテーブルに100人くらいの人を集めて、家から大規模な飲み会に参加できる仕組みをつくったんです。一気に拡散されたはされたんですけど、それが価値がある試みだったのかは、正直よくわかりませんでした。そこで生まれたつながりにどんな意味があるのか見いだせなかったんです。
アフロマンス(以下、A):ぼくもかなりの計画が吹き飛んで大変でしたが、それ以上に空気が重いのがイヤでしょうがなかった。不要不急という言葉とともに生まれた「楽しいこと自体がダメ」という雰囲気を変えたくて、「#楽しいが必要だ」というハッシュタグをつくって発信したら、みんなが自分の「楽しい」を投稿してくれたのがうれしかったです。
それもあって、コロナ以降は自分にとって「楽しい・ポジティブな企画」がとても大切だということを再認識して、なんとなくやっていた企画はやらなくなりました。いまはそんな楽しいイベントを安全な形でやっていく、そして可能性を広げるために試行錯誤しています。たとえば、3月に毎年やっていた「サクラチルバー」を、花見を自宅に届ける「サクラチルデリバリー」という企画に変えて開催したり、m-floのTakuさんと「BLOCK.FESTIVAL」というオンライン音楽フェスを立ち上げたりしました。
今回の収録は池尻大橋にある三宅が運営するカフェバー「Whims coffee and bar」にて行われた。
緊急事態宣言が生んだ「突風」
——去年の1回目の緊急事態宣言と比較すると、2回目の緊急事態宣言下にあるいまの状況は、どのように変わっているのでしょうか? 率直な感覚を教えてください。
M:僕の感覚としては2回目の方がインパクトは大きいです。1回目は反射的に物事を楽しむ能力を発揮できる感覚があったんですけど、2回目はものすごく冷静というか、突発的な動きだけじゃ乗り越えられなくて、きちんとしたエビデンスがないと何もできないところがありますよね。感染に対する倫理観を突きつけられている気がして、よりやりづらくはなったという印象です。誰かを傷つけてしまうかとかの影響がぬるっと大きくて、問題の本質が深く覆いかぶさってきている感じがしますけどね。
EVELA編集部・板橋(以下、I):私は2020年、コロナ禍でも様々なやり方で開催したイベントを取材してきました。2回目の状況では各自が1回目で学んだことや解除されてわかったことがあって、自分なりの行動規範を持てるようになりましたよね。だからこそ、自分で何かをつくったり主催したりお店をやってる方に自分たちのルールづくりにおける責任が重くのしかかっている気はします。
私の感じる雰囲気でいうと、1回目の時は暗くて先の見えないなかで、どんよりしないで抜け道探そう、皆で頑張ろうというものがあった。クラウドファンディングや署名活動が生まれたりして、切り開いていくパワーが大きくあったと思うんですけど、今は、そこがだいぶ弱まってる感じがします。辛い方々の辛さは変わってないけど、2回、3回と重なると、手を差し伸べようとする皆の感覚や熱量がどうしても鈍ってしまうというか。今後は持続性のあるサポートや自立支援の仕組みができたらいいですよね。
A:僕は1回目より2回目の緊急事態宣言のほうが、仕事にも心理的にも影響を受けました。イベントとかエンターテイメント業界もそうだと思うんですけど、1回目が終わって改めて、安全面も世論的なところも含めてやれる方法を考えて、徐々にみんな動き出したところに、突発的に強風が吹いたというか。僕もコロナに対応したイベントを色々企画していて、すべて密にはならない、やれるイベントのはずなんですが、イベントって1人とか1社でやるものではないこともあって、1月だけで何本も開催や発表を断念することになりました。コロナに対応した企画を一生懸命考えて計画したのに、内容にかかわらずリアルなイベントがほぼ不可能という雰囲気になってしまった。せっかく立て直してたのに、突風が吹いて更地にされてしまったような感じです。
アフロマンス
行列以外の「成功」のための指針
——「更地」になった結果、イベント業界全体も大きな影響を受けています。仕事としてのイベントをこれからどう続けていくのかも問題になりつつあると感じます。
A:6月にやったドライブインフェスのとき、仕事は3カ月ぶりだという専門職のスタッフもいました。業界全体を僕の力で守ろうなんておこがましいことは思っていないけど、自分と一緒にやる人や身の回りの人にちゃんとお金を払えるような仕事にはしていきたいと思いました。周りに貢献できるような仕事を続けていくには、ただ支援することを目的とするのではなく、エンターテイメントだったら「楽しい」、飲食だったら「美味しい」というように、本来の価値を提供していくことが大事だと思っています。
I:アフロさんは、課題解決と新しいアイデアを組み合わせるアプローチをしていますよね。たとえば、さまざまなキャラクターが自宅に料理を配達してくれる「キャラクターデリバリー」など、楽しさをお客さんに届けることに加えて、仕事が減ってしまった人への機会創出もしているわけじゃないですか。そういうアイデアがたくさん生まれていったらいいのになとは思います。
A:これまでイベントってとにかく人をいっぱい集めて密に詰め込むことが成功の定義のひとつだったんですよね。行列ができた!やった!みたいな。でも状況が変わって人を詰め込めなくなった。でもそれって本質的にはいいことなんじゃないかと思う側面もあるんです。すし詰めになったり、長い行列に並ぶことは本当に望ましいことだったのか?と。少人数だったり、密にならなくても成立する特別な体験をつくる、価値あるものだからより高いお金を払ってもらう。今まで当たり前だったイベントの価値観が覆る、そんな流れが起こるべくして起こると思います。
三宅恭平
「受付がない」から生まれる価値
I:あと、群れているから嬉しいこと、群衆が喜びをつくるものに関してはどうしていったらいいんでしょう? たとえば、私が映画館をすごく好きな理由は知らない人がいっぱい集まって同じ映画を見ているような「みんなで時間と空間を共有して楽しむ感覚」があるからなんです。ライブハウスとかも床が見えないほど人がいる方がいいじゃないですか。その本能的な欲求はどうしたら解決できるんだろうなと。
M:群れる感覚って言うのは、もしかしたらオンラインで集う感覚に置き換わっていくのかもしれないですね。群れることで感じた興奮はたしかにあると思うんですけど、それって僕らが体験していない昔の出来事があるように、ただただ変わっていくものなのかもしれないなと思っています。なので、今の状態はいい状態では無いですけど、意外と追い風の部分もあると思っていて。全てがダメというわけではなくて、どういうふうに作り変えたり、意識を変えていくのかというところじゃないですかね。
アフロマンスは遠隔で、今回の鼎談に参加した。
——かつて三宅さんがおっしゃられていた「フェス2.0」という概念は、いまから考えるとリアルイベントの付加価値を模索するための試みとも捉えられるように思えます。
M:フェス2.0は6〜7年前に作った概念で、フェスに参加する=享受するだけではなくて、提供する側とされる側の間の部分にどういう空間、時間を作り出せるのかという試みです。その狭間を埋めていくことが材料となり、マスが見るとエンターテイメントになる。
たとえば無人島シネマキャンプのように、スタッフとして楽しめるイベントや、演者がお金を払って参加するイベントがあります。みんなでつくり上げていくという体験自体が付加価値になっています。こういうイベントは規模が大きかったりして概念の共有ができていないと成り立たないし、コロナのこれからにいいんじゃないかなと思いました。
また、コロナ対策をするのに全員の協力やリテラシーが必要となった時、イベントのブランドが好きでそこに集まる人々はきっと、皆でそのイベントをより良いものにしようとする。ある種の宗教性というか。ファンが付くことによって、健全、安全なイベントが開かれていくような気もしています。
A:すごく共感します。バーニングマンも近い感じがしますね。僕はバーナー(編註:「燃やす者」を意味するバーニングマン参加者の呼称)なのもあって、主催とお客さんといったセパレートされた概念ではなく、皆でつくりあげるイベントのカルチャーはすごく好きです。
実は個人的にAfro&Campというイベントもやっているんですよ。非公開で、知っている人だけ100人声をかけてキャンプ場を貸し切ってやるんですけど。クローズドにしているので、チケット代という言い方はせず、参加費は「割り勘」と呼び、受付はつくらないんです。受付を作ると、やっている側とお客さんが分かれちゃう。コンテンツも全員持ち寄りで、音楽やりたい人が音楽をやったり、牧場関係の人が豚を持ってきて丸焼きにしたり、花火師の人が打ち上げ花火をやったり。それぞれの表現があってすごく楽しい。
——現状、多くのイベントが参加者からお金を対価としてもらうことで運営されています。お金以外のかたちで参加者と運営者が価値を交換しあえると、イベントというものの概念自体が変わる可能性もあります。
A:参加者を当事者としてイベントを作っていく時に大事なことは、さっき言っていた「数を求めないこと」ですね。集客を追い求めていくと、参加者の理解度や質が保てないし、どこかで歪みが出てくる。数を求めなければ、共感した人だけが集まるようにすればいい。有名な人を呼ばないというのも、むしろありな話なんですよ。村を作るのに近いかもしれないですけど、コンパクトな形でコミュニティを作っていくようなことは、これから増えると思います。いわゆる興行イベントとは違う形のリアルイベントだなと思います。
M:「フェス」や「飲食店」というくくりの言葉は使っているんですけど、僕がやっていることは1つで、概念の共有なんですよ。共感する人たちが集まって自然とコミュニティになる。概念の共有をするためには、不要なものを削ぎ落して、伝えたいことだけを伝える必要があるんです。なので、基本的にスポンサーは入れません。儲けや宣伝を考えたり、興行イベントとしてのビジネスが必要になってしまいますからね。無人島シネマキャンプも基本的な料金の体系はチケットという形がわかりやすいからそうしてますけど、まさに割り勘なんですよね。
A:形がないコミュニティというか、内と外の壁を作らないことも大事かなと。コロナの中でも色んな人と動いてるんですけど、そこはやっぱりゆるいコミュニティなんですよね。でも、そこに名前はなくて、なんとなく価値観でつながって、チームができる。究極は囲わないコミュニティというか。いつ来てもいいし、あるときは違う方向を向いていてもいいし。
「イベント」というイベントはない
——コミュニティの価値を念頭においたイベントの企画は、何を起点としてスタートするべきなのでしょうか。
A:企画が提供する価値と、コミュニティの持っている価値って、両立はするけど少し違うじゃないですか。僕はコミュニティの価値もよくわかるし大事なんだけど、企画のアウトプットやクオリティを追求して、そこでの発見や可能性を広げていくことが主軸なんです。なので、コミュニティをつくること自体や、コミュニティの人が何を望んでいるかというところから企画はスタートしてなくて。個人のこの企画をやりたいという想いからスタートして、それを作る過程で一緒にやりたいメンバーとか、支えてくれる人がコミュニティになっているんですよね。
今後のイベントは、それぞれ自分が大事にしたいことを軸に、何をやるかはゼロフラットで考えるのがいいと思うんです。ただ、やり方の部分は新しいことにどんどんトライしていきたいですね。
M:極端ですけど、100人いたら100通りあって、それでいいんじゃないかなと思うんです。それが全体的に統計されていったものが通称のイベントというもので。それぞれ気負いせずに、自由にやりたいことをやったらいいんじゃないですかね。正解かもしれないし不正解かもしれないけど、その中でみんなが取捨選択していけばいいし。そんなにこれがイベントだ、というのはなくていいのかなと思います。
A:イベントという言葉への違和感には僕もすごい共感します。イベントって、「ご飯」ぐらいのテンションの、広すぎる言葉ですよね。ファーストフードのハンバーガーもあれば母の手作り料理もあるし、みんなで楽しむバーベキューもある。
——逆にイベントという枠組みから離れたときに、みなさんの仕事が生んでいる価値とはなんなのでしょう。
M:僕がしたいのは、「時間短縮」なんです。映画館の再建をしていて感じたのが、すごく無駄な時間が多いということ。チラシ配りや挨拶、広告を打ったりするのを作品ごとに毎回繰り返すんです。それはネットワークをつくってオペレーションにしてしまえば、映画をつくること自体にもっと時間が使えると思いました。本質を見極めて、いい映画をつくりたい。そんな思いから僕の活動は始まりました。概念に親しいある程度の人たちにアプローチできるような環境、そしてつながりをつくるためにイベントをしているんです。
A:僕の場合は、祖父が絵描きだったこともあり、昔から何かを描いたりつくったりするのが好きなんです。大学は建築学科に入ったんですけど、スパンがものすごく長くて性に合わなかった。一人前になるのに数十年かかるし、1個の建築を作るのには5年10年かかります。思いついたことのトライアンドエラーをもっと早く沢山したくて、最終的に行き着いたのがイベントでした。
イベントって、中身は何であれ、「短期的なすべてのもの」だと思うんです。たとえばレストランは数年やるという前提で、どう日常を彩っていくかということになるけど、イベントになれば、“本当に最高(だけどずっとはやれない)”、そういう非日常体験をつくれる。イベントは、短期的だからこそできることの可能性を考えてたいと思っています。
板橋令子
マス・コミュニティ・個人
I:イベントとお店でできるコミュニティを考えると、お店には拠点があるからコミュニティはできやすいですよね。でもイベントの場合でも、フェス2.0のようにイベントを一緒につくっていくことでコミュニティはできるかもなと思いました。
それともうひとつ広い視点で見た時に、複合的に色んなものがあるエリアや街のような、大きなコミュニティづくりをどうすればいいんだろうという疑問も浮かびます。コミュニティの心地良さが“私たちだけ”のような限定感に起因する側面もあるなかで、街としてコミュニティをつくるためには、ファンビジネス以外にどんな道があるのでしょうか。
M:いま僕がマスマーケティングに興味があって勉強しているのは、コミュニティの居心地のよさだけじゃダメな気がするからです。コミュニティ以前に、ただ会話したいから一緒にいたいやつがいるだけで、友達やコミュニティを「つくる」って行為はしっくり来てないんです。長いこと一緒にいて、ずっと話せるやつはいるんですけど、「友達」はいないというか。だから逆にいえば、コミュニティには自分が話したいやつしかいない。ただ、その環境はバイアスがかかっていて危険だなって思う部分もあるので、自分とは遠いところにいる人もふくめた「マス」という存在も意識するように頑張っている感じです。
ただ、一つの「マス」が存在しているわけではなくて、一人ひとりの人間によって構成されているわけですよね。個人の視点から見ても、マスの視点から見ても、本質的には大きな違いはない。ただ、個人がマスの流れをつくり、マスが個人を変えていくような連鎖は存在しているのだと思います。そこに、ある種の個人とマスをつなぐような平均値としての統計をもち込んでみると、何がわかるのか? 街のようなコミュニティーのつながりも、そんな観点をもちこめるのかなと思いました。
I:ウィムスにはコミュニティがあるなと思うし、お店がある池尻大橋にもコミュニティがあると思うのはなんでなんだろうと考えていました。いろんなお店にコミュニティがあるけど、街にあるお店同士もつながっているじゃないですか。
M:僕が池尻大橋がなんで好きだったかというと、パッケージがなかったんですよ。イメージとしては、野原(笑)。なにもない状態で。東京で唯一、最後じゃないかなと思うくらい。渋谷、三茶という利便性の高い場所に囲まれた谷のようなところで、これだけパッケージングされていない、カルチャーが見えない状態ってすごい街だなと思って。結局そこに皆の共通認識はなくて、気づいた人たちが生み出し始めたから、コミュニティがあるように感じているんだと思うんですよね。
人を数字ではなく人として扱う
A:街とコミュニティの話で思ったのは、人を人として扱うかというポイントもあるのかなと。イベントでも、自分が誰かしらと会話できたかどうかで大きく満足度が変わるんですよね。渋谷のスクランブル交差点や六本木には沢山人がいるけど、マーケティング的な目線で見ると「何人」という数字として扱ってしまう。コミュニティができる店や場所では、顔と名前を覚えて、個人を個人としてちゃんと扱うことができているように思います。
M:ちなみに、うちの店は伝票を名前で書くんですよ。基本的にウィムスに来る人はカウンターに座るんですけど、カウンターって明確に席の番号が決っているわけじゃないんですよ。なので、うちにアルバイトに入った子は一番最初にお客さん全員の名前を覚えないと伝票が書けない。人を人として扱うというのは、そういう事かもしれないですね。
A:そういう意味では、オンラインは人のつながりを可視化することに関して、リアルより向いている面もある気がします。“場所を問わず人をつなげる”ということが、オンラインだとできる。それはBLOCK.FESTIVALのようなオンラインフェスに関わっていると実感します。流れてくるコメントを読んでいくと、観てくれている人の存在を実感して、思わず泣いてしまったんです。今後のイベントでは、オンラインにせよ、オフラインにせよ、個を尊重したつながりをどうつくるかが、すごく重要になってくると思います。
鼎談を終えて、「不要不急」であると大きな打撃を受けたイベント業界のなかで、様々な価値転換が起きていることを改めて実感した。アフロマンスは「楽しさ」という価値をもう一度定義しながら安全なイベントを企画し、三宅は「つながり」のあり方を地域のバーという観点からつくりなおしている。
その日にしかない快楽と、濃度の高いつながりという「イベント」がもっている価値は、2021年にどんな形で目の前に現れてくるのだろう。また、提示されたオンラインで追求されがちな数字とは異なる価値のあり方から、今後のイベントを考えるうえでの視座も得られた。オンラインにしろオフラインにしろ、そこに人間がいなければつながりも楽しみも生まれようがないことは、どんな状況になったとしても変わりがないだろう。
Photo: VICTOR NOMOTO
Text: RIO HOMMA