インサイドブルーの境界線で

柔らかな口調の中に垣間見える知性とアーティストとしての感性。フォトグラファー・野本ビキトルの写真は、匂い立つ迫力の奥にもの悲しさが宿り、尖った外身の中に優しさが眠るような不思議な魅力を携えている。ブラジルと日本を行き来するなかで、野本はどんなことを考えて道を切り開いてきたのか。「俺の写真はすべて悲しい」。——そう語る彼の頭の中を、少しだけ覗かせてもらった。

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「好きなものは音楽とタトゥー」

野本の生まれはブラジル・サンパウロ州のカンピーナスという街だ。小学生のころ親の都合で日本へと渡り、小4から高1までを日本で過ごした。その後再びブラジルに戻り、IBMでお堅い仕事をこなしながら写真を撮り始めたのは18歳のころ。それから写真を撮り続け、今ではライブやイベントの撮影、ポートレイトなど多岐にわたる活動をしている野本だが、今でもライブを撮影している時が一番幸せだという。

「去年はナルバリッチというバンドに同行させてもらって、日本や韓国を回ったよ。amazarashiの大きいライブも撮影させてもらって、ブルーレイのジャケットが俺の写真で嬉しかった。2枚の画像を重ね合わせた多重露出の写真を使っていて、結構攻めてるんだ。多重露出は俺らがやり始めた時はあんまり他では見なかったな」

ブラジルにいる当時、自身もニューメタル系のバンドを組みボーカルを務めていた彼は、友人のバンドを趣味で撮影していた。元々写真が好きなわけではなかったという。ロックに憧れていたことから、好きなものは音楽とタトゥー。しかし血は争えないと言ったところか、野本の父親はフォトグラファーとして働いていたことがあるのだ。野本が初めて使ったカメラは、父親のものだった。

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「たまたま友達のバンドのアー写を撮ってくれという話になった時にライブの写真も撮ることになったんだ。そうしたら、ギターの体がぐにぐにっと曲がっている最高の瞬間が撮れて、“これめっちゃ楽しいじゃん”って。そこからずっと、2011年くらいまでは音楽ばっかり撮ってたかな。色々撮っているうちに誘いが来るようになって、ツアーに同行したり、海外のメディアに写真を使われるようになって。その後はイベントを撮影し始めて、『I Hate Flash※』を皆で立ち上げてからは、フェスとかも撮っていたよ」

※I Hate Flash:野本が仲間と立ち上げた。写真や音楽、ファッションに関わるクリエイター集団。

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「何もかもを悲しくさせるスーパーパワー」

そんな野本の写真が持つ特徴のひとつは、“悲しさ”だ。特に仕事以外で撮影する写真には、自身の“インサイドブルー”が色濃く発散されているという。

「俺は自分で勝手にスーパーパワーだと思っているんだけど、自分のインサイドブルーが強すぎて、何もかもを悲しくさせるんだ。リオのカーニバルとかも撮ったことがあるけど、納品した写真以外を見るとほとんど悲しげな写真だよ」

野本の“インサイドブルー”は、どのように形成されたのか。それには野本が日本にいる時に体験した、楽しいとは言えない出来事の数々が大きく影響しているのかもしれない。

「日本ではいじめられていたんだ。小学校のころはひどかったね。親の都合で何度も引っ越しをしたから、常に友達サークルの中から外されていた。茨城にいた頃はブラジル人が集まってコロニー化していて、そのコミュニティとばかり関わっていたよ。中学校3回目の街・四日市は自然に“いけない奴ら”の方に行って、そこですごい受け入れてもらって。しょうもないことばかりやっていたけれど、楽しい思い出もあるね。今自分の子供が学校に通っているから、自分にあったことは彼には起きてほしくない。でも日本は変わってきたと思う。今は結構いじめに真面目に取り組んでくれている感じ」

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「『君の写真は匂いまである』と言われて」

過去を昇華させるように写真を撮っている野本だが、自身の“スタイル”については、どう考えているのだろう。

「スタイルはわからないなぁ。けれど、昔mixiに写真を載せたら知らない人から『君の写真は匂いまであるんだね』と言われて、すごく嬉しかった。当時は特にメタル系の小さなライブを撮影していて、魚眼で客の中から撮ってた。ステージダイブとかを避けながらフラッシュとかライトペインティング(光の残像を使って写真に絵を描く手法)とかして。だから結構写真に迫力があったんだ」

見ての通り、野本の写真はクセが強い。そこには、撮られる対象を最高にカッコよく、そしてエッジーに写したいという強すぎるこだわりが詰まっている。動かないオブジェを撮る時でさえ、何回もシャッターを切るのだという。

「自分のなかでの“カッコいい”基準も毎日のように変わっている。その変化は、自分が昔撮った写真なんかを見ると感じるね。黒だけが共通点かな。ライトより絶対ダークの方が好き。自分の写真はフォトグラファーからというより、映画やアニメ、ゲームとか本から影響を受けているな。最近は『NECROMANCER』を読んで、その世界観を表現したくなったよ。さりげないサイバーパンク感は結構好きなんだよね。青とピンク、緑とオレンジみたいな、コントラストな色合いとか」

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「最高の1枚を撮って、走って帰ってくる」

様々なカルチャーをスタイルに反映させていく野本だが、ブラジルには影響を受けたフォトグラファーがいる。野本が写真を始めた当時、ハードコアバンドの写真を撮っていたマウリシオ・サンターナだ。

「写真を撮り始めたころは、ほとんどオートで最高の瞬間ばかり狙っていたけど、ある時ちょっとカメラをいじってたまたまできた写真を、誰かに『マウリシオの写真みたい』と言われて。彼の写真を見てみたら、ヤバかった。全然レベルが高くて。逆ナンして友達になって、写真の相談なんかをする仲になったよ」

野本とマウリシオは親交を深め、その仲は一緒に小さなスタジオ「closemotion」を開くまでに。影響は受けたが、仕事の様子は全く違うふたりだという。

「例えばアーティストの写真なら、俺は最高の1枚を撮って走って帰ってきてSNSに上げるっていうブリーフィングを頭に入れながらやっている。彼は今ゲッティイメージズで働いているから、数で勝負するために、セレクトせずに1,000枚くらい撮っている」

“常に最高の1枚を”。そんなマインドセットで写真を走り続けている野本は、プライベートでも写真に関わる趣味を持っている。それが、ゲーム内での写真撮影と、ガンプラの撮影だ。

「ゲームの中の撮影機能とかキャラクターのスマホを使って写真を撮っているんだ。ブラジルでは発売する前のゲームで撮影をお願いされたりして、仕事になったよ。最近はガンプラも撮っていて、趣味中の趣味になってる。ガンプラの腕前は達者じゃないけど、写真には自信がある」

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仕事もプライベートも“写真中毒”となりブラジルで活動をしていた野本は、再び日本に足を踏み入れることになる。その最も大きな理由のひとつは政治だった。

「日本人からは政治への興味をあまり感じないけど、ブラジルではいい意味でも悪い意味でもすべてが政治。ブラジルから日本に来たいと思ったのが、ブラジルの女性大統領が降ろされた時。ブラジルは今クリスチャンの力が強い人たちがてっぺんに立ってて、投票のざまを見て、サーカスみたいになっていて怖かった。そこでうちの妻が『ここやばくなるね』って」

野本はブラジルから離れたいと願い、日本で職を探していた。そんな時出会ったのが、当時「SILLY」というメディアの編集長を務めていた、メタクラフトの西條鉄太郎だ。

「西條さんがやってたSILLYに写真を投稿してたんだよね。自分の鬱な気持ちだけをぶつけたような写真で、サンパウロのストリートとかを撮って。当時Facebookにあったクリエイターのグループにポートフォリオを載せて日本に行きたい旨を書き込んだら、西條さんが『うちで働かない?』って。いきなり過ぎてびっくりしたよ、あの人はクレイジーだと思う!でもそのおかげで、俺とてっちゃん(西條)がこんなに近い関係なんじゃないかな。彼はお兄ちゃんみたいな存在」

野本が日本に旅行した際に、共通の知り合いを通じて一度だけ面識のあった西條に呼び寄せられた野本は、こうしてメタクラフトで働くことに。メタクラフトではロボットアームを使用しての人物撮影や、大画面にカメラを繋いでお店に置きっぱなしにする実験的な企画などといった、“テッキー”で新しい体験をすることができている。

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「写真中毒であり、家族中毒」

日本に来て、メタクラフトで働くようになって、色々と変わったことがある。そのひとつが、“家にいるパパ”になれたことだ。

「俺はすっごく、家族を優先する。写真撮り始めて最初のころは忙しくて、息子のかづきが一番小さい時はあまり家にいなかった。そこからある日『嫌だな』と思って。家にいるパパになりたいと目指したら、そうなれました。ブラジルにいる家族とはたまにスカイプとかしてる。俺が小さいころ日本に住んでた頃、年に数回皆でインターナショナルコール用のカードをコンビニで買って、公衆電話のところへ行って外人の行列に入って電話してたのが懐かしいね。今は可愛い写真をすぐに親父たちに送れるし、家族との距離は縮まってる。俺は写真中毒であり、家族中毒なんだ」

音楽とタトゥー、そして家族を愛し、今日もシャッターを切り続ける野本。その内側に触れれば壊れてしまいそうな脆さを見え隠れさせながらも、愛によって強く生かされている姿の主張は、至極自然だ。暗さと明るさ、静けさと騒がしさ、愛と孤独。対岸にあるようで共存している概念たちを、狭間に立つようにいっぺんに抱え込む野本の懐は、その先が見えないくらいに深い故の、漆黒であった。


Photo: VICTOR NOMOTO/BETA NOMOTO
Text: RIO HOMMA